2007年10月18日
四十、五十にして聞こゆるなきは
四十、五十にして聞こゆるなきは
世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえてこない、おるやおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことでははつまらない。少しできた人間ならば世間は都も書く、すくなくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。
大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四十、五十になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家の帰っても女房・子供からいやがられる、そんなことでは人間ダメである。
(感想)
やはり、自分さえ良ければ良いの生活態度では、なかなか世間の評価は難しいと感じます。東大の篠原一先生の書かれた「市民の政治学」の中に、仕事には3つ有る。収入を得る「労働」、現代の社会を支える有償・無償のボランチィアの「仕事」、未来世代のためめに働き見返り求めない「活動」がある。これをバランスよく行うのが大人とありました。
何処に比率を多くするかが評価に現れるように感じます。皆さんの生活を少し、この視点でキャリアを検証してみると良いのかもしれません。
自分で宣伝して回ることは必要ないですが、「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」と言われないような、大人として仕事には3つのバランスを自分の出来る範囲でやってみるのも重要な人生の選択と思います。自分の評価は、自分で出来るのでなく周りの人々の信頼の大きさによるのだと思います。
私自身どうかと考える安岡先生の「一日一言」でした。
世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえてこない、おるやおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことでははつまらない。少しできた人間ならば世間は都も書く、すくなくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。
大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四十、五十になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家の帰っても女房・子供からいやがられる、そんなことでは人間ダメである。
(感想)
やはり、自分さえ良ければ良いの生活態度では、なかなか世間の評価は難しいと感じます。東大の篠原一先生の書かれた「市民の政治学」の中に、仕事には3つ有る。収入を得る「労働」、現代の社会を支える有償・無償のボランチィアの「仕事」、未来世代のためめに働き見返り求めない「活動」がある。これをバランスよく行うのが大人とありました。
何処に比率を多くするかが評価に現れるように感じます。皆さんの生活を少し、この視点でキャリアを検証してみると良いのかもしれません。
自分で宣伝して回ることは必要ないですが、「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」と言われないような、大人として仕事には3つのバランスを自分の出来る範囲でやってみるのも重要な人生の選択と思います。自分の評価は、自分で出来るのでなく周りの人々の信頼の大きさによるのだと思います。
私自身どうかと考える安岡先生の「一日一言」でした。
Posted by ノグチ(noguchi) at 01:22│Comments(1)
この記事へのコメント
はじめまして。
宇土市で『論語』が始まったのは、新聞で見ていましたが、
ブログを見つけて感動!!
ブログ暦が、少ないので・・・・。
論語は、良いですよね!
今の時代にも、必要不可欠だと思います。
ご活躍を期待しています!
宇土市で『論語』が始まったのは、新聞で見ていましたが、
ブログを見つけて感動!!
ブログ暦が、少ないので・・・・。
論語は、良いですよね!
今の時代にも、必要不可欠だと思います。
ご活躍を期待しています!
Posted by はなちゃん at 2007年10月18日 09:09