2007年10月19日
(肥後実学)「肥後の猛婦」シンポジウム
(肥後実学)「肥後の猛婦」シンポジウム
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2085745
女性の地位向上に貢献「熊本の猛婦たち」(大宅壮一)
~大義を四海に布かんのみ(横井小楠)~
「明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である」(大宅壮一「熊本の猛婦たち」『婦人公論』昭和34年2月号)
50年前に書かれたものですが、その活躍した女性たちを検証すると、幕末の思想家・横井小楠の親族及び、高弟たちに関わる女性たちであることがわかりました。
・横井小楠と熊本の高弟たち
徳富一敬、竹崎律次郎、矢島源助、長野濬平、内藤泰吉、嘉悦氏房、安場保和、山田武甫、横井左平太、横井大平
女性たちの活躍の舞台は、教育界、平和運動、女性解放運動、作家活動、禁酒運動、女性民権運動等々、当時としては先見的な活動に関わっていました。一部紹介します。
竹崎順子(矢島家の長女、竹崎律次郎の夫人、教育者)
徳富久子(矢島家の次女、徳富蘇峰・蘆花の母、熊本女学校の創設者、禁酒運動家)
横井つせ子(矢島家の三女、横井小楠夫人)
横井玉子(横井左平太の妻、女子美術大学の創設者。教育者)
矢島楫子(矢島家の四女、禁酒、廃娼の婦人矯風会を創立。ワシントン軍縮会議
に出席、平和の1万人署名を手渡すなど、国際的な女性解放、平和運動家)
海老名みや子(横井小楠・つせ子の長女、キリスト教連合婦人会会長。社会事業家)
湯浅初子(徳富蘇峰・蘆花の姉、社会運動家)
徳富愛子(徳富蘆花婦人、蘆花と作家活動(共作)「蘆花全集」)
久布白落実(徳富蘇峰、蘆花の姪。公娼制度の廃止、婦人参政権獲得に尽くし、
売春防止法制定に貢献。社会運動家)
嘉悦孝子(横井小楠の高弟・嘉悦氏房の長女。嘉悦学園を設立。教育家)
河口愛子(小石川高等女学校、文華女子高校を設立。教育家)
高群逸枝(「母系制の研究」などの女性史研究家)
熊本出身の女性活動家の多くが、横井小楠を思想「実学」の理念を学んだ高弟たちの家系から輩出しています。
また、実学の流れの中で、英学校、医学校が明治期草々に、設立されキリスト教の布教活動の発端と言われる「熊本バンド」も出来、ここから多くの偉人たちを出しました。同社大の創設者・新島譲も参加しています。
一昨日、今話題なっている関東大震災後の都市計画を考案した後藤新平の妻は、安場保和の娘と言う事を井上智重(熊本日日新聞編集員)との対談で知りました。
横井小楠は、明治維新に大きな影響を与え、勝海舟、坂本龍馬、松平駿嶽公の師であり、維新政府の政策にも大きな影響を与えています。
大宅氏の「熊本の猛婦たち」(婦人公論)を読むと、女性たちは高い志と行動力を備え、男性たちの中で堂々と怯まず意見を述べ、仲間をつのりハツラツと活動してことがうかがえます。
トルストイも感心させた横井小楠の実学の理念は、「平和」ではなかったのかなと私は思っています。甥の横井左平太と横井太平が、留学(洋行)する折に送られた有名な漢詩があります。
作:横井小楠(慶応2年(1886年))
尭舜孔子の道を明らかにし
西洋器械術を尽くす
何ぞ富国に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ
この理念が、小楠から高弟たち、そしてその家族、親族に広がり、明治期に熊本から多くに女性活動家を出した基になっていると思っています。
来週、10月26日に熊本市で、上記の女性偉人たちを顕彰するシンポジムが開催されます。今年2月から準備進める中で、反響の高さを励みに進めて来ました。興味ある方はぜひ、ご参加下さい。
シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
記
日 時 平成19年10月26日(金)
13:30~16:30
場 所 国際交流会館ホール(6階)
参加費 無料
<プログラム>
メッセージ 潮谷義子(熊本県知事)
特別ゲスト 横井和子(横井家現当主)
パネリスト 緒方 惇(作家)
堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
中村青史(エッセイスト、文学博士) 本田節子(作家)
コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)
実行委員長 高宗昭敏(熊本横井小楠塾塾長、九州東海大学名誉教授)
問い合わせ先 事務局
〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6リブズ菊池1F
環境共生施設研究所内 事務局長 野口修一(熊本横井小楠塾世話人
aande@lime.ocn.ne.jp
・「肥後の猛婦」シンポジウム
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「大義を四海に布かんのみ」
~大義(平和、共生)を世界へ広げるのみ~
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女性の地位向上に貢献「熊本の猛婦たち」(大宅壮一)
~大義を四海に布かんのみ(横井小楠)~
「明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である」(大宅壮一「熊本の猛婦たち」『婦人公論』昭和34年2月号)
50年前に書かれたものですが、その活躍した女性たちを検証すると、幕末の思想家・横井小楠の親族及び、高弟たちに関わる女性たちであることがわかりました。
・横井小楠と熊本の高弟たち
徳富一敬、竹崎律次郎、矢島源助、長野濬平、内藤泰吉、嘉悦氏房、安場保和、山田武甫、横井左平太、横井大平
女性たちの活躍の舞台は、教育界、平和運動、女性解放運動、作家活動、禁酒運動、女性民権運動等々、当時としては先見的な活動に関わっていました。一部紹介します。
竹崎順子(矢島家の長女、竹崎律次郎の夫人、教育者)
徳富久子(矢島家の次女、徳富蘇峰・蘆花の母、熊本女学校の創設者、禁酒運動家)
横井つせ子(矢島家の三女、横井小楠夫人)
横井玉子(横井左平太の妻、女子美術大学の創設者。教育者)
矢島楫子(矢島家の四女、禁酒、廃娼の婦人矯風会を創立。ワシントン軍縮会議
に出席、平和の1万人署名を手渡すなど、国際的な女性解放、平和運動家)
海老名みや子(横井小楠・つせ子の長女、キリスト教連合婦人会会長。社会事業家)
湯浅初子(徳富蘇峰・蘆花の姉、社会運動家)
徳富愛子(徳富蘆花婦人、蘆花と作家活動(共作)「蘆花全集」)
久布白落実(徳富蘇峰、蘆花の姪。公娼制度の廃止、婦人参政権獲得に尽くし、
売春防止法制定に貢献。社会運動家)
嘉悦孝子(横井小楠の高弟・嘉悦氏房の長女。嘉悦学園を設立。教育家)
河口愛子(小石川高等女学校、文華女子高校を設立。教育家)
高群逸枝(「母系制の研究」などの女性史研究家)
熊本出身の女性活動家の多くが、横井小楠を思想「実学」の理念を学んだ高弟たちの家系から輩出しています。
また、実学の流れの中で、英学校、医学校が明治期草々に、設立されキリスト教の布教活動の発端と言われる「熊本バンド」も出来、ここから多くの偉人たちを出しました。同社大の創設者・新島譲も参加しています。
一昨日、今話題なっている関東大震災後の都市計画を考案した後藤新平の妻は、安場保和の娘と言う事を井上智重(熊本日日新聞編集員)との対談で知りました。
横井小楠は、明治維新に大きな影響を与え、勝海舟、坂本龍馬、松平駿嶽公の師であり、維新政府の政策にも大きな影響を与えています。
大宅氏の「熊本の猛婦たち」(婦人公論)を読むと、女性たちは高い志と行動力を備え、男性たちの中で堂々と怯まず意見を述べ、仲間をつのりハツラツと活動してことがうかがえます。
トルストイも感心させた横井小楠の実学の理念は、「平和」ではなかったのかなと私は思っています。甥の横井左平太と横井太平が、留学(洋行)する折に送られた有名な漢詩があります。
作:横井小楠(慶応2年(1886年))
尭舜孔子の道を明らかにし
西洋器械術を尽くす
何ぞ富国に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ
この理念が、小楠から高弟たち、そしてその家族、親族に広がり、明治期に熊本から多くに女性活動家を出した基になっていると思っています。
来週、10月26日に熊本市で、上記の女性偉人たちを顕彰するシンポジムが開催されます。今年2月から準備進める中で、反響の高さを励みに進めて来ました。興味ある方はぜひ、ご参加下さい。
シンポジウム「横井小楠と肥後の猛婦たち」
記
日 時 平成19年10月26日(金)
13:30~16:30
場 所 国際交流会館ホール(6階)
参加費 無料
<プログラム>
メッセージ 潮谷義子(熊本県知事)
特別ゲスト 横井和子(横井家現当主)
パネリスト 緒方 惇(作家)
堤 克彦(横井小楠研究家、文学博士)
中村青史(エッセイスト、文学博士) 本田節子(作家)
コーディネーター 井上智重(熊本日日新聞編集員)
実行委員長 高宗昭敏(熊本横井小楠塾塾長、九州東海大学名誉教授)
問い合わせ先 事務局
〒862-0913熊本市尾ノ上1丁目48-6リブズ菊池1F
環境共生施設研究所内 事務局長 野口修一(熊本横井小楠塾世話人
aande@lime.ocn.ne.jp
・「肥後の猛婦」シンポジウム
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2085745
「大義を四海に布かんのみ」
~大義(平和、共生)を世界へ広げるのみ~
Posted by ノグチ(noguchi) at 08:52│Comments(0)