2007年10月20日
学校管理職発言の揺れと「浩然の気」
学校管理職発言の揺れと「浩然の気」
今夜も中学生の自殺のニュースがテレビで流れていた。学校の管理職が、被害者の家での発言と記者会見での内容が違っていたを報道していたのですが、「どっちが本当」となり、不信感が広がる。
事実を語ればと言うことと、教育になればと言う両方を常に考えているので、このブレ(振れ)が出るのだとうと思います。
孟子の一節に「浩然の気」と言う、危機に直面したり、大きな判断したりする時に、公に対して話す、意見交換、会議等で、自分と対話しながら、即答を要求された時にどうこたえるかは、日常から自分の言葉がどう波及するか、させるかを考えているかどうかにかかっていると思います。
・諸橋徹次先生の「浩然の気」の解説
浩然の気とは、「義」すなわち人間の心の中の正義、「道」すなわち天地の自然の道理、この人情の正しいものと、天地間の自然の道との二つのものを配合してできたもので、この二者は最も大切に保存しなければならぬ。もしわれわれにこの浩然の気が失われると、どこかしらん、飢えたる者のごとく、心に自身がなく、腹に力がなくなってしまう、と説明します。
孟子曰く「浩然の気を養うのに急いではいけない」
すなわち浩然の気は義と道とを配する。しかも義と言うものは、長い間本人自身が自分の心の中に積み重ね、集め合わせて、そこから自然に生じた内部的な輝きであって、義が外部にあり、それをもってきて、外からおおいかぶせたという、いわばてんぷらの衣のようなものではない。
われわれがあることを行う。その時行なってはみたが、自分の心に問うてみて、何となく気持ちが「よくない、どこか足りないところがあるような感じがするとせば、その時には浩然の気は飢えている(価値判断ができない)のである。
(私の理解)
浩然の気とは、出来事や行動に対して、公の場での言動を起こすときに、私利私欲を捨て、神(自分の良心)と語り、判断するときに、心のわだかまりのない状況を言うと考えています。
自分の地位、名誉、成果、評価等を全く考えず、事業・活動に関わる当事者たち、地域、更には事後の地域社会(次世代)が、より良き方向へ向かうように、発言と行動を常に生活の中で考え続けることと考えています。
これを表す言葉に、(逃げない)責任と先見性を併せた言動の考え方を「天人合一」の哲学と、私は考えています。(異論は有ろうかと思います)
リーダーの発言が振れる(ずれる)と、周りみんなが問題解決の収束方向を見誤ってしまうと思います。学校責任者の言動には、日常から「浩然の気」を胆に据えて、発言と行動に努めて欲しいと思います。
人の価値は、良い時(好調な場合)ではなくて、苦境(危機、敗北)の時の言動に、真の価値が出ると思います。「先見性」「魅力・磁力」「(逃げない)責任」の3要素では、最後の逃げない「責任」こそが大事と、私は考えていますし、その苦境時の発言が人間の本性を表すと感じています。そんな場面でこそ真の生きる学問を経験できるとも思っています。正に陽明学の「事上磨練」の考え方です。このことは、後日詳しくお話をします。
日常から軽い緊張感と戦略的思考を忘れないで、人の道と義を修養する「浩然の気」の維持向上に努めて生きたいと思います。
今夜も中学生の自殺のニュースがテレビで流れていた。学校の管理職が、被害者の家での発言と記者会見での内容が違っていたを報道していたのですが、「どっちが本当」となり、不信感が広がる。
事実を語ればと言うことと、教育になればと言う両方を常に考えているので、このブレ(振れ)が出るのだとうと思います。
孟子の一節に「浩然の気」と言う、危機に直面したり、大きな判断したりする時に、公に対して話す、意見交換、会議等で、自分と対話しながら、即答を要求された時にどうこたえるかは、日常から自分の言葉がどう波及するか、させるかを考えているかどうかにかかっていると思います。
・諸橋徹次先生の「浩然の気」の解説
浩然の気とは、「義」すなわち人間の心の中の正義、「道」すなわち天地の自然の道理、この人情の正しいものと、天地間の自然の道との二つのものを配合してできたもので、この二者は最も大切に保存しなければならぬ。もしわれわれにこの浩然の気が失われると、どこかしらん、飢えたる者のごとく、心に自身がなく、腹に力がなくなってしまう、と説明します。
孟子曰く「浩然の気を養うのに急いではいけない」
すなわち浩然の気は義と道とを配する。しかも義と言うものは、長い間本人自身が自分の心の中に積み重ね、集め合わせて、そこから自然に生じた内部的な輝きであって、義が外部にあり、それをもってきて、外からおおいかぶせたという、いわばてんぷらの衣のようなものではない。
われわれがあることを行う。その時行なってはみたが、自分の心に問うてみて、何となく気持ちが「よくない、どこか足りないところがあるような感じがするとせば、その時には浩然の気は飢えている(価値判断ができない)のである。
(私の理解)
浩然の気とは、出来事や行動に対して、公の場での言動を起こすときに、私利私欲を捨て、神(自分の良心)と語り、判断するときに、心のわだかまりのない状況を言うと考えています。
自分の地位、名誉、成果、評価等を全く考えず、事業・活動に関わる当事者たち、地域、更には事後の地域社会(次世代)が、より良き方向へ向かうように、発言と行動を常に生活の中で考え続けることと考えています。
これを表す言葉に、(逃げない)責任と先見性を併せた言動の考え方を「天人合一」の哲学と、私は考えています。(異論は有ろうかと思います)
リーダーの発言が振れる(ずれる)と、周りみんなが問題解決の収束方向を見誤ってしまうと思います。学校責任者の言動には、日常から「浩然の気」を胆に据えて、発言と行動に努めて欲しいと思います。
人の価値は、良い時(好調な場合)ではなくて、苦境(危機、敗北)の時の言動に、真の価値が出ると思います。「先見性」「魅力・磁力」「(逃げない)責任」の3要素では、最後の逃げない「責任」こそが大事と、私は考えていますし、その苦境時の発言が人間の本性を表すと感じています。そんな場面でこそ真の生きる学問を経験できるとも思っています。正に陽明学の「事上磨練」の考え方です。このことは、後日詳しくお話をします。
日常から軽い緊張感と戦略的思考を忘れないで、人の道と義を修養する「浩然の気」の維持向上に努めて生きたいと思います。
Posted by ノグチ(noguchi) at 00:56│Comments(0)