2008年01月12日

天職とは何か、人の望みは沢山有り

天職とは何か、人の望みは沢山有り

 今朝は、自宅書斎の片付け、午後はNGOの打ち合わせ、明日・明後日は、和歌山の友人に会いに行きます。なんやかやの連休です。

 皆様の連休はいかがでしょうか?


 私は、ものづくりが好きで、設計と言う仕事をしています。設計は、建築・施設、あるいは街や地域を、構想した目標に限りなく近づけるために、ものづくりの職人たちをネットワークして行くことではないかと最近考えるようになっています。

 別の言葉を使えは、将来利用する人々の要望(情報)を形に変えていく仕事とも言われますが、設計はコミュニケーションそのものかもしれません。

 また完成後、もの・施設・街には、人が関わって行き、ニーズも変わり、社会変化、行政サービスの変化で、使い方が変わり、その都度修正が必要になります。終わりの無い、情報収拾の連続が設計とも言えます。でも、これが面白く、かれこれ25年やって来ました。

 小林秀雄氏の語録を集めた「人選の鍛錬」の次の言葉がありました。年齢的にも、同じくらいの年に書かれたもので、私の関心を引く言葉でしたので、ご紹介します。


~小林秀雄語録より~

 天職と言う言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。

 今日天職という様な言葉がもはや陳腐に聞こえるのは、今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見つける事が大変困難になったので、多くの人が職業のなかに人間の目的を発見する事を諦めてしまったからです。

 これは悲しむべき事であります。
(「私の人生観」17-137、1949年、48才)


 人間は何と人間らしからぬ沢山の望みを抱き、とどのつまりは何とただの人間で止まることでしょうか。
(「私の人生観」17-142、1949年、48才、)


 と、厳しい指摘です。論語に次の言葉があります。

「三十にして立ち、四十にして迷わず、五十にして天命を知る」

 小林氏も、50才を前にして、色々考えた時期だったのかもしれません。私もその年になり、「天命」あるいは「天職」とは、なにか自問しているように思います。

 人は悩む事で、少しづつ成長していくのかもしれません。


 ちなみに、私のメールマガジンは、6年前に始めたのですが、そのきっかけは大阪の町工場の職人社長の熱意と研究心に感動して書いたことを思い出します。この人は、「開発が天職」と語っていたように思います。寝食を忘れ、毎日考えることが面白いとも語ってました。

 世界一細い注射針を開発した人です。「細さ0.2mm」凄いですね。



Posted by ノグチ(noguchi) at 12:41│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。