2008年03月11日
「暗記」だけの頭脳は御免だ:西澤潤一(首都大学東京学長)
「暗記」だけの頭脳は御免だ:西澤潤一(首都大学東京学長)
~2008.3.6産経Web「正論」~
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080306/edc0803060350001-n1.htm「正論」
日本には創造促す教育が不可欠
>日本人は、目的を与えられると、極めて少ない努力で到達する手法を開発する天才的能力を持っている。その最大のものは、丸暗記である。
>ところが、何時までに、どこまで暗記するかを予定して暗記を始めても、最初のうちは頭はもう一つの能力を発揮して「なぜだろう」「なぜかしら」と考え出してしまう。
>幼少のころから考えるように教育を実施してゆくことが、日本の教育に最も重要な事項である。そのためには入学試験の問題を一新して思考のいる応用問題や記述式試験を出すようにすることが大切である。
>複雑な思考もできる能力を持たせるようにしてゆくことが大切になってくる21世紀社会に対応して、これまで以上に思考能力を高めるように教育を改良してゆくことが必要である。
>そのためには、個々の事象をよく理解して事象を見、また報告を聞いて、その結果を正しく導き出す能力つまり理解が十分に進んでいなければならない。どうなるか分からず、結論だけ暗記していても、結論を推定することもできないようでは、理系でも文系でも創造力は無論、応用能力すら欠くことになる。ましてや、暗記しただけで矛盾すら気がついていなければ、大事故にさえつながる。
わが家の受験年から、丸1年が過ぎた。今年も、受験を向かえた家族は、心身ともに苦悩する時期ですが、一年を過ぎてみると、子どもたちは元気に受かった高校、大学に通って勉学、部活に励んでいます。
ゆとり教育が叫ばれたここ数年、また学力低下の心配から、授業実数が増やされるとか。我が家の子どもたちは、ゆとり教育の中で育った。学校の学習不足と、田舎の教育環境に不安を感じて、受験のためのだいぶ塾通いもしました。
子どもの思いと親の思い、意見を交わしながら進んで来ました。一昨年の一年間は、何が良いのか、親も勉強する時期と思いました。今思うと、それは結果を受け入れ、そこからどう次のステップに向かうか、気持ち・考えを切り替えるとことだと、最近考えるようになっています。
今回読んだ、西澤潤一氏の言葉に、大きく励まされた気がしました。私は、20数年前に読んだ西澤氏の著書「10年先を読む」に、考える事の大切さ、情報集め、人と関わる事の大事さを学んだように思います。下記はの西澤氏の正論の抜粋ですが、
「個々の事象をよく理解して事象を見、また報告を聞いて、その結果を正しく導き出す能力」~つまり理解が十分に進んでいなければならない。~
自分で考えることの大切さを感じます。
戦後処理に奔走した白州次郎氏は、大正時代ケンブリッジに7年留学をしたのですが、そこで「自分の意見を持ちなさい」と、世界的な物理学者に教示されたと著書で読みました。
自分で、現場、現物、本人を検証し、自分で考え、結論を出してみる事が、次のステップに行く始まりになると思います。
他の事例を参考に、問題を類推するのが、学びに始まりですが、そこから自分の持論を作り出すことは、大変な努力と時間が必要と思います。でも前例に無い事が起きるのが、現実の社会ですから、その変化・危機の時、自分で考える力が有るか無いかで、その対応・結果は大きく異なります。そこに、創造力、危機感覚、予見力につながるとだと考えます。体験こそ、発想の基ではないかと思いようになりました。
今日は、西澤氏の文章を読み、思ったことを書きました。意見、異見を頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(もうやめませんか)道路事業「独占発注」9割、天下り先51法人に
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=740102027&owner_id=2182841
・人の危急を救う (開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=739891872&owner_id=2182841&org_id=740102027
~2008.3.6産経Web「正論」~
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080306/edc0803060350001-n1.htm「正論」
日本には創造促す教育が不可欠
>日本人は、目的を与えられると、極めて少ない努力で到達する手法を開発する天才的能力を持っている。その最大のものは、丸暗記である。
>ところが、何時までに、どこまで暗記するかを予定して暗記を始めても、最初のうちは頭はもう一つの能力を発揮して「なぜだろう」「なぜかしら」と考え出してしまう。
>幼少のころから考えるように教育を実施してゆくことが、日本の教育に最も重要な事項である。そのためには入学試験の問題を一新して思考のいる応用問題や記述式試験を出すようにすることが大切である。
>複雑な思考もできる能力を持たせるようにしてゆくことが大切になってくる21世紀社会に対応して、これまで以上に思考能力を高めるように教育を改良してゆくことが必要である。
>そのためには、個々の事象をよく理解して事象を見、また報告を聞いて、その結果を正しく導き出す能力つまり理解が十分に進んでいなければならない。どうなるか分からず、結論だけ暗記していても、結論を推定することもできないようでは、理系でも文系でも創造力は無論、応用能力すら欠くことになる。ましてや、暗記しただけで矛盾すら気がついていなければ、大事故にさえつながる。
わが家の受験年から、丸1年が過ぎた。今年も、受験を向かえた家族は、心身ともに苦悩する時期ですが、一年を過ぎてみると、子どもたちは元気に受かった高校、大学に通って勉学、部活に励んでいます。
ゆとり教育が叫ばれたここ数年、また学力低下の心配から、授業実数が増やされるとか。我が家の子どもたちは、ゆとり教育の中で育った。学校の学習不足と、田舎の教育環境に不安を感じて、受験のためのだいぶ塾通いもしました。
子どもの思いと親の思い、意見を交わしながら進んで来ました。一昨年の一年間は、何が良いのか、親も勉強する時期と思いました。今思うと、それは結果を受け入れ、そこからどう次のステップに向かうか、気持ち・考えを切り替えるとことだと、最近考えるようになっています。
今回読んだ、西澤潤一氏の言葉に、大きく励まされた気がしました。私は、20数年前に読んだ西澤氏の著書「10年先を読む」に、考える事の大切さ、情報集め、人と関わる事の大事さを学んだように思います。下記はの西澤氏の正論の抜粋ですが、
「個々の事象をよく理解して事象を見、また報告を聞いて、その結果を正しく導き出す能力」~つまり理解が十分に進んでいなければならない。~
自分で考えることの大切さを感じます。
戦後処理に奔走した白州次郎氏は、大正時代ケンブリッジに7年留学をしたのですが、そこで「自分の意見を持ちなさい」と、世界的な物理学者に教示されたと著書で読みました。
自分で、現場、現物、本人を検証し、自分で考え、結論を出してみる事が、次のステップに行く始まりになると思います。
他の事例を参考に、問題を類推するのが、学びに始まりですが、そこから自分の持論を作り出すことは、大変な努力と時間が必要と思います。でも前例に無い事が起きるのが、現実の社会ですから、その変化・危機の時、自分で考える力が有るか無いかで、その対応・結果は大きく異なります。そこに、創造力、危機感覚、予見力につながるとだと考えます。体験こそ、発想の基ではないかと思いようになりました。
今日は、西澤氏の文章を読み、思ったことを書きました。意見、異見を頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(もうやめませんか)道路事業「独占発注」9割、天下り先51法人に
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=740102027&owner_id=2182841
・人の危急を救う (開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=739891872&owner_id=2182841&org_id=740102027
Posted by ノグチ(noguchi) at 08:03│Comments(0)