2008年03月27日

今、教育にも生活にも必要な「敬う心」と「思いやり」

今、教育にも生活にも必要な「敬う心」と「思いやり」

以前にも思いを語ったことですが、相手を尊敬する「敬」、相手を思いやる「仁」の心が必要なように思います。

・中国古典輪読会

 さて、もう一つの「中国古典輪読会」は、6年つづく論語、孟子等の経書を読み・学び・語る会です。私の高校の先輩が、主宰されている会で、私も4年前から時々参加させてもらっています。今は、「孟子」(諸橋徹次著)を読んでいます。 昨日は、「四つの本性」の部分で、「仁」「義」「礼」「智」の心の発露の大切さを学ぶことから始まりました。

 輪読とは別の資料をそれぞれが持ち寄り、議論の題材にしたりします。今日はその一つ、孔子の言葉を紹介します。

「孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。学びて之を知る物は、次なり。困(くる)しみて之を学ぶは、又其の次なり。困しみて之を学ばざるは、民これを下と為す。」

吉田松陰の孟子の解説も紹介があり、
「(中略)しかるに『孟子』を読んでも、道という問題の上においてはこれを体得するところがある人物は少ないであろう。これ何故であるか。それは、人々が富貴貧賎、安楽艱難という環境のために累(わずら)わされるがためである。・(中略)・人は、順境にある時は怠けやすく、逆境にある時は励みやすいものである。怠けると道を失い、励めば道を得るということ、これが人生の常の姿である」 と講義をした内容が記録されているそうです。今の時代に充分通じる人の生業の指針と思います。

 常に学ぶ姿勢が必要と感じた昨日の「中国古典輪読会」でした。雑談の中で、日本の教育のことが話題なったのですが、
「知識でなく「徳育」が今最も大切で、学校に取り入れないといけない」の言葉から、
「その前に先生に「徳育」を施さないと、何を伝えるのか解からないのでは?、なぜかと言うと親たちが、教師たちが「徳育」に重き置いた教育環境で育ってこなかったことが問題。」

これから、やはり

「敬」:相手を敬い接する姿勢(至誠)
「仁」:相手も思いやるやさしさ(心)

が欲しい。教師には、教師自身が生き方「徳」を高める学問が必要と意見が出ていました。安岡正篤先生の「人生の五計」の中で紹介されていた言葉に「教学半ば」がありました。
 教えることは、学ぶこと。教師は率先垂範の姿勢が、一番の教育と思います。ふと思い出したのが「知識を教える先生は得やすいが、生き方を教える先生は得難い」のだと思います。

 そして、もっと学問が深くなって行くと、学ぶ先生も居なくなり、誰を師とするかのヒントが、昨日の資料の中にありましたので、それを紹介して今日の日記の最後にします。

南州(西郷隆盛)遺訓の中に、在る言葉です。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし」

同じように、横井小楠の言葉にも同様な部分があります。徳を高め考え続けると、同じ域まで到達するものだと思います。日々精進が大事と思います。



Posted by ノグチ(noguchi) at 22:52│Comments(2)
この記事へのコメント
今日退任式ですね…娘の担任の先生はまさに教師で在り続けたいと日々精進して下さる方でした。(*^_^*)
私も先生と呼称される仕事をしていますが…いつもノグチさんのあちこちの投稿を拝読していて…納得したり 反省したりです。

私はことの神髄を知るためには理論はしるべきだと思っています。知った上であえて語らないかっこよさを目指して居ます。

ノグチさんの投稿はまさしく知るためには欠かせないブログです。ありがとうございますm(_ _)m
Posted by ほんわか at 2008年03月28日 05:32
>私はことの神髄を知るためには理論はしるべきだと思っています。知った上であえて語らないかっこよさを目指して居ます。

良いですね。

賛同します。

私のブログで、異業種交流会「四季の会」に、下記のテーマで書きました。

「自信を持つと自分が見える。独創とは自分の資質そのもの。

検索いただけば幸いです。

これからもよろしくお願します。
Posted by ノグチノグチ at 2008年03月28日 10:31
 
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