2008年04月04日

(徳と敵)かかる火の粉は勇気をもって払え

(徳と敵)かかる火の粉は勇気をもって払え

 熊本の社会風潮の中で、「肥後の引き倒し」と言う言葉があります。いわゆる、出る杭は打たれると言う事です。

 人間は、人格形成を日々続けることが生活ではないかと語った先輩がいます。
人格形成の中でよく使われるのが、「徳」と言う言葉あります。

 人々は、人徳を養い、多くの人から愛される、ということを目標にしている人が多く居ると思います。努力途中の人は、「まだ至らないものですから・・」などと語り、謙虚そうな言い振りですが、実は心の中は(自分には人徳が備わっている)と思っていながら、上辺だけでそういう言葉を吐く人もいます。
 
 でも、自己に忠実に生きれば、どこかで必ず適が生まれる、それは、こっちが意識しようとしまいと闇の中からじっとうかがっている。まして、貴方が円満具足の人徳者であればある程、そういう敵の数は、実は以外に多いと、先人の遺訓などにもあります。
宮本武蔵の「五輪の書」の一説にもありました。

「隠を動かすと云ふは、敵の心の見えわかぬ時の事也」

「貴方を良い人です」と言う人間ばかりではない。
「いい格好するな、いつか引きずり降ろしてやる」と、虎視耽耽(こしたんたん)と貴方の足を引っ張ろうと狙っている人間は、どこにでも居るのです。そういう人間は、いきなり、闇の中から襲ってくるのです。白昼正面からは切りかかっては来ない。貴方の抹殺が目的だから、手段を問わず、どんな方法をとっても、必ず貴方を殺す(社会的な打撃を与える)という狙いを持っています。

 もし、武蔵だったらどうするか?

(以下、本文より転載)

「私(武蔵)は、堂々と切りかかってくる人間には、木刀で相手をする。しかし、闇討ちには、真剣を使い、瞬時に切り殺す」
と言うだろう。それが、いかに正義の道といえど、かかる火の粉は払わにゃならぬ、の思想である。だが、なぜ、そうするのだろうか。
武蔵は、こう答えるだろう。
「それは、自分のためだけでなく、人のためだからだ。」
わかりにくい言葉である。武蔵に説明してもらおう。武蔵はこう言う。
「貴方が円満具足の人物であればある程、多くの敬愛者がいることも事実だ。そういう人々は、貴方の目の前で、そのことをはっきり言わなくとも、遠くから貴方をじっと見守っている。
それは、闇の中から貴方が切り殺そうと狙っている人間と同じだ。そういう人々から見て、闇討ちまでするような人間をそのままにしておけば、それは、貴方を敬愛している人々に、多くの落胆と失望を与えることになる。なんだ、この人は、こんな弱虫だったのか、と思うからだ。
悪の虫を少なくし、善の虫を多くするためには、公然と悪意をむき出しにして切りかかってきた者は、これを叩き殺さなければならない。俺ならそうする。」(中略)

切りかかられているのに、にこにこ笑って、阿(おもね)るような気配りをしたり、愛想笑いをするような人物は、職場の敬愛を得ることはできない。(中略)


昔、下記のような流行歌もあったそうですが、

「いかに正義の道といえど、かかる火の粉は払わにゃならぬ・・・」

完全無欠の人間などこの世に存在しない。必ず人間は欠点があり、また、自我があります。人間十人十色ですから、色々な見方をする人たちが存在します。
やはり、いざと言うときは、逃げては自分の価値そのものが、半減すると言う教えと思います。

知識には、3つ在ると、江戸の儒学者・佐藤一斎の教えがあります。

知識:世に溢れる多様な情報を吸収する能力
見識:多くの情報を自分で判断する能力
胆識:公然の中で、意見・行動する能力

知識は、行動に起こしてこそ知識(胆識)と思います。色々な方法で、引きずり降ろそうと挑戦された時には、怯まず全身全霊をかけて勝負することが大事と思います。



Posted by ノグチ(noguchi) at 18:19│Comments(0)
 
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