2013年08月23日
人生の終わりに、自分は何のためにこの世に生まれたか?
人生の終わりに、自分は何のためにこの世に生まれたか?
天草市の講演会会場に着きました。予定よりも、1時間以上現地について、休憩中です。
時間つぶしに本を読んでいると、ホスピスの患者に対する質問と回答に目が留まりました。その人の人生を振り返り、何か人様のお役に立ったことを思い出してもらそうです。ふつうの人なら、たぶんいくつもあると思います。それを聞き留めて、死期が近づいた時に、
「あなたはこういうことをしてんですよ」
「そういうことしてあげたんですよ」
と語るそうです。患者は、
「自分の人生もそれなりに意味があった」
安らかな気持ちで息をひきとられるとありました。
何も役に立った記憶のない人は、何のためにこの世に生まれたか。
人生の終わりに、自分は何のためにこの世に生まれたか?
自分に問う時、人の役になって来たか?
『易経』に、「積善の家には必ず余慶あり」という教示があります。逆の教示が、「積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」です。殃は、禍と同じ意味ですが、これは本当にそうなのか。
世には、悪事を働きながらも、のうのうと人生を終わる人もいる。この教示には、庶民の願いも反映していると思います。
『易経』によりますと、さらにその無形の見返りは子孫にまで及んでいくというのです。かりに『易経』の言葉を信ずるななら、自分にできる範囲で善行に励んだほうがよいということなのだと思います。
天草市の講演会会場に着きました。予定よりも、1時間以上現地について、休憩中です。
時間つぶしに本を読んでいると、ホスピスの患者に対する質問と回答に目が留まりました。その人の人生を振り返り、何か人様のお役に立ったことを思い出してもらそうです。ふつうの人なら、たぶんいくつもあると思います。それを聞き留めて、死期が近づいた時に、
「あなたはこういうことをしてんですよ」
「そういうことしてあげたんですよ」
と語るそうです。患者は、
「自分の人生もそれなりに意味があった」
安らかな気持ちで息をひきとられるとありました。
何も役に立った記憶のない人は、何のためにこの世に生まれたか。
人生の終わりに、自分は何のためにこの世に生まれたか?
自分に問う時、人の役になって来たか?
『易経』に、「積善の家には必ず余慶あり」という教示があります。逆の教示が、「積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」です。殃は、禍と同じ意味ですが、これは本当にそうなのか。
世には、悪事を働きながらも、のうのうと人生を終わる人もいる。この教示には、庶民の願いも反映していると思います。
『易経』によりますと、さらにその無形の見返りは子孫にまで及んでいくというのです。かりに『易経』の言葉を信ずるななら、自分にできる範囲で善行に励んだほうがよいということなのだと思います。
自ら矜(ほこ)らず、故に長たり(老子二十二章)〜いばっている人は孤立する〜
「事上磨錬」(じじょうまれん)という言葉〜陽明学〜
<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜
常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
「事上磨錬」(じじょうまれん)という言葉〜陽明学〜
<平和な世の中>お辞儀は無抵抗を示す姿、握手は武器を確認する行為だった。〜境野勝悟『老子・荘子の言葉100選』〜
常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 13:26│Comments(0)
│故事、名言、訓示、スピーチ
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