2014年05月09日

老いても「遠大な志、やらんかなの気持ち」。「人生の本舞台は将来にあり」。

老いても「遠大な志、やらんかなの気持ち」。「人生の本舞台は将来にあり」。

おはようございます。朝ウォーキングは、川沿いの道路を歩くのですが、往復する道の帰りに、約500m近くカワセミが道連れのように川面を飛んでいました。青い羽がヒラヒラしてとても綺麗でした。

今日は、朝早く出たのですが、毎日続ける朝読書はそれでも数分でもと思い読んだのが、「三国志」の英雄・曹操の勉強熱心さについて。曹操は、当時の北部中国を制圧する活躍をするのですが、その戦の場にも常に数冊の本を持参し、勉強をした人でもあります。多くのすばらしい漢詩が残されていますが、特に好きな詩が、

「老驥(ロウキ)、櫪(レキ)ニ伏スモ、志、千里ニ在リ。 烈士暮年、壮心已マズ」

【意味】一日に千里も走る駿馬は、年老いて馬屋につながれても、志だけはなお千里のかなたにはせている。それとも同じように、すぐれた人物は、力衰えた晩年になっても、やらんかなの気持ちだけは失わないものだ。

また、明代の思想家王陽明もこう語っている「志立タザレバ、舵ナキノ舟、銜(クツワ)ナキノ馬ノ如シ」。意味は、「志(目標)を持たないのは、舵の無い船、やたら暴れる馬のようなもの。それでは、いつになっても目的地(目標)にたどり着けない」と。

中国の偉人2人の言葉を借りると、「烈士暮年、壮心已まず」から、人はいつになっても「遠大な志、やらんかなの気持ち」の2つを忘れてはいけないの訓示と思います。

昨日、地域の先輩(80才?)から、宇土市の将来について語ってもらった。年老いても地域の将来を危惧する想い、忘れはいけない生き方を示された気がします。

「老驥(ロウキ)、櫪(レキ)ニ伏スモ、志、千里ニ在リ」

老いた馬でさえ、自らの走る姿を忘れない。人にも「引退」の言葉は無いと思い、将来へ向け活動を続ける。憲政の神様と言われた故尾崎行雄氏が、75才に病を患った時の言葉があります。

「人生の本舞台は将来にあり」

こんな気持ちを、私も持ち続けたいと思います。今日の午後は、7月の九州の龍馬会が集まる交流会の打ち合わせと、今月31日に地元で開催するフットパス研修の打ち合わせ、夜は宇土市の体育協会総会と続きます。様々な方々が、地域活性化のため活動をされています。

動けば地域の困りごとを知れ、交友も広がります。今日も、前向きな活動をする人たちと出会えることを楽しみに過ごしたいと思います。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:12│Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ
 
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