2020年06月30日

吉田松陰にはいつも「めざす人物」がいた。常に孤独な真剣勝負。〜なぜ学問の神といわれるのか?〜

吉田松陰にはいつも「めざす人物」がいた。常に孤独な真剣勝負。〜なぜ学問の神といわれるのか?〜

 これまでのコメントでも紹介した。吉田松陰の理念を解説した本『覚悟の生き方、超訳 吉田松陰』の松蔭からの学び四、

(以下、抜粋)

素晴らしい本を読んでも、素晴らしい話を聞いても、旅に出て素晴らしい景色を見ても、それは知識が増えたというだけで、人生の根本的な役には立っていない。

物事には本質と枝葉がある。

枝葉が知識なら、本質は「どう生きたいのか」という志である。

この志を言葉にし、いつも懐に携えていれば、とごへ行って、誰と会い、なにを見て、なにを聞きても、あらゆるものが道を明るく照らす光となる。

どうすれば人は志を立てられるのだろうか。

その源は負けん気にある。

素晴らしい者と出会ったとき、「自分も同じ人間だ。負けてたまるものか」と発憤することができるかどうか。

志のために行動をする。

吉田松陰にはいつも「めざす人物」がいた。

学問の神として敬われる吉田松陰だが、それは「誰かに評価されるための学問」ではなく、本当に自分が日本を変える人物になれるかどうかの、孤独な真剣勝負だったのだ。
(以上、本より)

>誰かに評価されるための学問」ではなく

>孤独な真剣勝負だった

学問とは、自らを鍛える闘いを吉田松陰はやっていたのか?

浦賀では密航を試みるし、藩法を犯して、宮部鼎蔵と東北視察に回ったり、常に真剣勝負の毎日だったのだと思います。

防府市の図書館に視察に行った時、海原徹著『江戸の旅人 吉田松陰』なる本を見つけました。中をパラパラ読むと、幕末に志士の中で、日本を見て歩いたのが吉田松陰が一番だった。

吉田松陰は、資料で集めた知識ではなく、見聞し、日本の志士たち語り、外国船を見たり、海外へ行くために密航しようとしたり、と行動しながら考えた知識だったから、あれだけの人材を松下村塾から輩出したのだろう。

だからこそ、後々の世まで、吉田松陰という人物が、語り継がれるのだろう。やはり幕末維新は、魅力的です。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:28Comments(0)偉人故事、名言、訓示、スピーチ