2009年05月19日

気付きはある日突然やってくる

気付きはある日突然やってくる

 日々の生活の中で、考え続けても答えがなかなか出ないことが常なのですが、ふとしたことや、全然違う時(場面)で、ハッと気付く(閃く)ことがあります。「そうか! こういうことか」、と気付くと、胸のわだかまりがすーっと消えてしまいます。
 道元の言葉に、「翠竹のなかより、発心得道するあり(発菩提心)」なる教示があります。中国唐代の禅僧、香厳和尚がまだ修行中の時、頭脳明晰、勉強熱心で、修行も熱心に務めるが、どうしても悟れない。以下、「道元『禅』の言葉」から抜粋、

(本文)
 師から「なんでも頭でわかろうとするから、つかめなんだよ」といわれて、香厳が山のように積み上げられた書籍に火をつけて燃やしてしまった。
 香厳は、「もう、俺みたいなものには、とても悟れない。修行をやめよう」と、山を折り、旅に出ることにした。旅の途中尊敬する忠国師の墓を掃除しても気持ちは晴れない、ふと、落ちていた小石を拾って、あたりの竹林へめがけて投げつけた「カチッ、カチッ、カチーン」と、小石が竹に当たる音が響き渡った。
 そのとき、ハッと悟った。「わたくしは、竹の響きを聞く耳の働きがあった。外から得た相対的な知識より、もっと大事な宇宙の絶対不動の力があった」と。
(以上、「道元『禅』の言葉」より)

 これは、考えに考え抜いた、悩みに悩みぬいた修行僧だから、竹林の音で気付きますが、我々一般庶民は、こうは行きません。ただ、小さな日々の悩みをどう解決するかと言う時のヒントはあるという気がします。

 問題が生じたとき、人は周りや関わった社会に責任を転嫁しがちです。しかし、多くの原因を整理して行くと、以外に自分自身に起因があること多いと気付きます。香厳和尚も、悟りが先人たちの残した書物(知識)から得るものと思い込み、もう勉強をします。しかし、心の充実・理解(悟り)には、至りません。

 道元の教えを現代に訳すと、「行き詰ったら、考えるのをやめる」とあります。考えても考えても答えが見つからないときは、町(まち)へ出よう、旅へ出よう。竹林への小石の一投ではないですが、気付きとはそういうものなのかもしれません。

*参考資料:道元「禅」の言葉

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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:04│Comments(1)道元「禅」の言葉
この記事へのコメント
君子であっても なくっても ある日突然

 豹変したり 悟ったり

 お釈迦様でないIchiro
Posted by Ichiro at 2009年05月19日 06:33
 
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