2009年06月04日

公論中でも相手を傷つける言葉は使わない

公論中でも相手を傷つける言葉は使わない

 日々の暮らしで、会話の無い生活はありえない。出来事、事件を研修すると、人と人の関わりあいの些細な行き違い、意見の違いが始まりのように思います。その中でも、言葉から受ける印象は、人それぞれ違うことを知っておく必要があります。

 先人たちも、言葉の行き違いで苦労したのだろうと思います。道元の教示の末尾に方に、あったのが冒頭の言葉です。

「無益ないい争いほど愚かなことはない」(道元)

(以下、本文より)
 お互いが自分の考えを持って、無遠慮に話し合っていると、だんだん興奮して、相手をへこまそうとしたり、きびしく批難したりしたくなる。自分の考えだけを露出して、相手の意見は無視し、自分の考えだけが正しいことだといい争ってしまう。(中略)
 言葉は、恐ろしい一面を持つ。おごりたかぶって発言された一言が、たとえどんな軽々しい口調でいわれたにしても、胸をぐさりと突かれ、動けなくなります。(中略)
 ・・、個人の我意だけを振り回してばかりしていたのでは、幸福で平和な世界は消失する。(中略)
(以上、「道元『禅』の言葉」)

 自分はそんな気持ちは無くても、相手の受け取り方では、恨みをかうこともあります。また、相手のためによかれと、色々アドバイスしても、「おせっかい」と受け取られることもあります。人とのお付き合いは、難しいものです。
 その行き違い、いざこざの始まりは、ちょっとした言葉から、以外に始まる事が多いように思います。中国故事にもその教示がある。

「人主の逆鱗(げきりん)にふるるなくんば即ちちかし」(韓非子)

 人は、他人から触れて欲しくない部分がある。トップもそうだが、ここには触れるなと先輩から言われることはしない方が良い。もし間違って言葉に出した瞬間、「カミナリ」が落ち、最悪、クビになる事もありうるのでご注意を。
 韓非子の言葉を解説したものに、次の解説がありました。

「竜という動物は、馴らせば、人が乗れるほどおとなしい。だが、喉の下に直径一尺ほどの鱗(うろこ)が逆さに生えていて、これに触れようものなら、必ず人をかみ殺す」

 トップにも(一般の人にも)、この逆鱗がある。それに触れないように話すのが説得の極意だそうだ。それに触れないように心がけることが対人関係の要領なのかもしれません。

*参考資料:境野勝悟訳著「道元『禅』の言葉」
      守屋洋訳著「中国古典 一日一話」


<関連ブログ>
・環境共生施設研究所(旧A&E計画設計事務所)
 http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/


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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:55│Comments(1)道元「禅」の言葉
この記事へのコメント
確かにそうだけど 首相と党首の討論もかね。

 ヤマトの習慣は 相手を慮ってなんだけど

 意見の相違は どう決着するか 難しいのであります。

 そして、経験からものを言っている場合は 絶対に同意見にならない

 チャンネルを変えたら?

 Ichiro
Posted by Ichiro at 2009年06月04日 18:24
 
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