2009年04月05日

とらわれない境地で生きる 「六然」

とらわれない境地で生きる 「六然」

(現代語訳)
 谷間から流れ出る白雲は、行こうがとどまろうが思いのまま、なにものにもとらわれない。
 中天にかかる明月は、下界がさわがしかろうと静かであろうと、いっこうにわずらわされない。

(解説)
 福沢諭吉が「痩我慢の説」を書いて勝海舟を批判し、旧幕臣として身の処し方に異を唱えたとき、勝はこう答えたという。
「行蔵(こうぞう)は我に存す。毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存じ候」

「行蔵」とは出処進退という意味であるが、批判のあることは認めかがら、それにとらわれない生き方を貫いたのである。
 できればこうありたい。

(感想)
 勝海舟は、福沢諭吉に非難されたのですが、旧幕臣たちの支援は続けていたと知りました。
 人は、生きていれば色々な人に会います。人間は、一人だけでは生きれないから、人と関わります。人は、「十人十色」というように、色々な考えを持っていますし、四六時中いっしょにいる訳でありませんから、端々の言動を基に人物評価をしてしまいます。
 本当の人の評価は、死んだ後、残され人々の対談の中で、集約されて行くのかもしれません。

*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」

(添付資料)
勝海舟の座右の銘「六然(りくぜん)」

 自処超然(ちょうぜん)
 処人藹然(あいぜん)
 得意澹然(たんぜん)
 失意泰然(たいぜん)
 有事斬然(ざんぜん)
 無事澄然(ちょうぜん)

(意味)
 自らを処するに超然としてどう言われようとどうなっても平気で高いところから見下ろすようにしている。
 人に処するには心を和らげて穏やかに和気藹々としている。
 得意なときでも静かに淡々としている。
 失意にあっても落ち着いて動じず泰然としている。
 一旦事があり、例えば戦ともなれば斬然頭角を現し敵を斬り殺すように、ひときわすぐれた器量を発揮する。
 何事も無いときにはきれいに心を澄ましている。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 09:57│Comments(3)菜根譚
この記事へのコメント
いい言葉である。どこでも活躍の場がある。

 大学から某病院にいかされた:そこでは大学でやるよりもっと自由によい研究をした。
 某県の大学にやらされた。もっと研究の幅と質と量(数か)を増やした。
 某療養所にいかされた。世界超一流の人物を知りあい、論文の質を向上させた。
 某県の療養所にいかされた。興味の幅を物凄く広げた。
 某県の老健にいかされた。自分の老後をみつめ、参考にしている。
 というわけで、行く先々に興味を持っている。
 Ichiro
Posted by Ichiro at 2009年04月05日 10:49
Ichiroさま

何時も書き込みありがとうございます。

>行く先々に興味を持っている。

興味こそが、行動のエネルギーも素(もと)のように感じています。

「興味、関心、発見」が、私の行動の原点かもしれません。

ノグチ
Posted by ノグチ(noguchi)ノグチ(noguchi) at 2009年04月05日 11:18
お二人の会話で、
また更に、学んでいます。
ありがとうございます。
Posted by Titania at 2009年04月05日 15:27
 
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