2009年05月22日

(生命とは)宇宙の中で、自分は一人のみ

(生命とは)宇宙の中で、自分は一人のみ

 今、地球の大気圏の外周を、日本人宇宙飛行士の若田氏が、国際宇宙ステーションに滞在し、色々な研究調査が進められています。私の子ども頃からすると、夢の世界ですが、現実の宇宙空間が身近に感じれる時代にいる子供たちの未来はどんなものを想像しているでしょうか。

 かつて、私も小中学生の頃、宇宙とは、地球とは、自分の存在は?・・・、色々、少ない知識と情報を駆使して、考えたものです。人間、一度はそんな思いを抱き、過ごす時期(成長期)があると思います。

 現代、老練政治家の一人と評される、石原慎太郎東京都知事は、作家でもあるのですが、1997年に月刊誌「プレジデント」書かれた連載をまとめた「法華経に生きる」の一節のある文章が、とてもうまく表現されているので、ご紹介します。


(本文抜粋)

 ・・・、誰しも子どもの頃、特に自我が形成されていく思春期には、夜空を仰いで遠い星や星雲を眺めながらこの宇宙の中に今こうして生を得ている自分とは、自分の存在とはいったい何なんだろうとふと考えるものです。宇宙という膨大な空間の中に、あそこからこの地球まであの星雲の光が実は何万、いや何億光年もかかってやって届くという隔たりの彼方にある事物を、この今という瞬間に仰いで眺めている自分という存在のはかなさ、不思議さに打たれたことのなかったような人はいないと思う。

 確か、誰かにあの星とこの地球との間の距離は何万光年だと教えられてその星を仰いでみても、何万光年という隔たりの実感など人間にとってあり得ないし、そう知って眺めればま眺めるほどむしろ、不思議さを越して何か神秘なものを感じてしまいます。自分の理性の幅にはるかに余る巨大な空間なり時間を意識しなおして考えてみれば、思考が及ばぬままに人間は神秘なものを感じ、感動するというよりも、むしろある戦慄さえ感じてしまう。(中略)
  (以上、「法華経を生きる」)

 「自分の存在とは何ぞや?」

 一生つきまとう課題ですが、50歳になり、後が少なくなった年に成ってくると、これからの役割を思いつつ、若いころ悩んだことも思い出し年代と思います。

 その生きている実感で、今居る場所の日本、そして地球、太陽系、宇宙を空間の認識は理論的(知識)には理解できますが、やはり無限の世界だと思います。
 宇宙の中に、自分は独りしかしませんし、前にも後にも存在しません。今、生きている自分が唯一の自分です。

 何を言っているのかと、嘲笑されると思いますが、この認識こそとても大事と思います。またそこを認識しながら、日々周囲の人たちと接することで、自分の立ち位置を確認しているように思います。
 
 今、生きていられる保証が、「生命」と思います。
 一日、一日を大事に生きなければ思います。

*参考資料:石原慎太郎著 「法華経に生きる」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(1)私の意見