2018年03月08日

道求無限(どうきゅうむげん)

<道求無限(どうきゅうむげん)>

2月25日(日曜日)に、久しぶりに中国古典輪読会に参加をしました。下は私が一番下で59歳、上は塾長が83歳、平均70代前半でしょうか。名書と言われる『論語』と『菜根譚』を読み、当番が解説し、それぞれがその訓示に関係する自らの経験を語る。この学習を20年近く続けている稀有な私塾です。年会費3千円、お菓子とお茶、資料代に使われる。

塾長は、こんな言葉をよく使われる。

道求無限(どうきゅうむげん)

日曜日の中国古典輪読会に、新しい仲間が加わっていました。論語を一人学んでおられたが、会の一人が誘ったそうです。

人の道を求める(学ぶ)者は無限に仲間が広がる、

と私は勝手に解釈しているのですが、

論語に、「朋(友)遠方より来たるあり、楽しからずや」とあります。同じ思いを待つものが集い語るとは、楽しいものです。

それはスポーツも同じと思います。
オリンピックという舞台に出るため、それぞれが日々努力し、犠牲を払い、周りが支える。求める方向が同じ志がある人との出会い、仲間がいると、環境は厳しくても楽しいものです。

生きることは学ぶこと、道求無限(どうきゅうむげん)の気持ちを忘れず、今日も元気に楽しく学ぶ一日になるよう頑張りましょう。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:09Comments(0)リーダーの名言

2018年03月08日

中国古典輪読会「中澄会」

中国古典輪読会「中澄会」に、先月末の日曜日、今年初めて参加しました。会に加わって、かれこれ16年?になるでしょうか。本日の言葉で印象に残った言葉

「成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諌めず、既往(きおう)は咎めず」

【現代語訳】
すでに出来たことはとやかく言っても始まらない。やってしまったことは、諌めても無駄というものだ。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない。
(以下、『仮名論語』より)

毎月1回開催されている中国古典輪読会に、4ヶ月ぶりに参加した。もうそろそろ240回になるそうです。20年近く続く、『論語』を中心として、中国古典の四書五経から続く様々な教養について読み語る集まりです。私は、40代の前半に誘われ、かれこれ16年近くになると思います。

この会の中で知った幕末の陽明学者の山田方谷に関心を持ち、日本一古い庶民が学んだ、岡山の陽明学の学校跡「閑谷学校」を視察に行き、山田方谷に生き方に触れ、感銘を受けました。幕末に、熊本の儒家で政治家の横井小楠先哲も「閑谷学校」を訪れています。

平成30年度から小学校に道徳の授業が始まります。「論語読みの論語知らず」と冷やかす言葉もありますが、対人関係に関する知恵の宝庫が「論語」だと思い、学んできました。

これからも、さぼり気味の塾生ですが、飽きず、懲りず、中国古典輪読会で学びたいと思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:07Comments(0)