2020年12月05日
挨拶も奉仕作業も"強制の教育"から始まる。〜曽野綾子〜
挨拶も奉仕作業も"強制の教育"から始まる。〜曽野綾子〜
天草市の宿で朝読書ですが、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』の中に、曽野綾子さんが教育改革国民会議第一部会での出来事が紹介されている。
(以下、抜粋)
曽野綾子さんが、会議の中で奉仕活動を義務教育に取り入れることを提案したら、凄まじい反発が来た。"教育は自発的でならなければならないものであって、強制するなどというのはとんでもない"というのである。(中略)
曽野さんの知人(男性)が、昔、アラブの美しい娘と恋に落ち、双方の反対を押し切って、結婚することになった。日本に来た娘に、男性の母が日本式の挨拶を教ようとしたが、「アラブの人間はアラー(神)以外、畳につけような御辞儀(礼拝)はしない」と拒否された。モスクで神に礼拝する時以外、床に座って頭を下げれことはない、というのだ。どこの国でも、教育は強制である。(中略)
強制に始まった教育は、次第に自然に、二つの道を辿る。いやになって止める人と、だんだん面白くなる人とである。奉仕(ボランティア)活動も全く同様である。少しやってみて人のために働くようなアホらしいことはごめんだ、と思えば、いつでも止めるチャンスはあるのである。人のために尽くすということは、なかなか気持ちがいいものだな、と思えば続けばいいのである。
(以上、本より)
日本の教育者、特に現場にいる若い教師たちは、教育とは強制であることを常々思って子どもたちに教えているのだろうか。
私は毎朝、学校の校門前で、横断歩道で交通指導をしていて、子どもたちに「おはようございます」と挨拶をこちらからするのですが、毎年4月・5月は無反応、二学期くらいから何人か返礼の「おはようございます」が返ってくるようになるが、多くが無反応です。しかし、校長先生が「おはよう」と挨拶をすると返事が返って来る。これからも、挨拶は強制的であり、家庭内での習慣(強制)も子どもたちの日常に現れると思います。
「挨拶とは強制された教育の結果なのだ」〜曽野綾子〜
天草市の宿で朝読書ですが、曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』の中に、曽野綾子さんが教育改革国民会議第一部会での出来事が紹介されている。
(以下、抜粋)
曽野綾子さんが、会議の中で奉仕活動を義務教育に取り入れることを提案したら、凄まじい反発が来た。"教育は自発的でならなければならないものであって、強制するなどというのはとんでもない"というのである。(中略)
曽野さんの知人(男性)が、昔、アラブの美しい娘と恋に落ち、双方の反対を押し切って、結婚することになった。日本に来た娘に、男性の母が日本式の挨拶を教ようとしたが、「アラブの人間はアラー(神)以外、畳につけような御辞儀(礼拝)はしない」と拒否された。モスクで神に礼拝する時以外、床に座って頭を下げれことはない、というのだ。どこの国でも、教育は強制である。(中略)
強制に始まった教育は、次第に自然に、二つの道を辿る。いやになって止める人と、だんだん面白くなる人とである。奉仕(ボランティア)活動も全く同様である。少しやってみて人のために働くようなアホらしいことはごめんだ、と思えば、いつでも止めるチャンスはあるのである。人のために尽くすということは、なかなか気持ちがいいものだな、と思えば続けばいいのである。
(以上、本より)
日本の教育者、特に現場にいる若い教師たちは、教育とは強制であることを常々思って子どもたちに教えているのだろうか。
私は毎朝、学校の校門前で、横断歩道で交通指導をしていて、子どもたちに「おはようございます」と挨拶をこちらからするのですが、毎年4月・5月は無反応、二学期くらいから何人か返礼の「おはようございます」が返ってくるようになるが、多くが無反応です。しかし、校長先生が「おはよう」と挨拶をすると返事が返って来る。これからも、挨拶は強制的であり、家庭内での習慣(強制)も子どもたちの日常に現れると思います。
「挨拶とは強制された教育の結果なのだ」〜曽野綾子〜
<漸進する"じっくり">若かして藩主となった上杉鷹山公は、藩士に求めた"自己改革"の手法とは?〜『上杉鷹山と細井平洲』〜
<教育の中心は、人の道を教える>広域強盗事件。金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思う。
<嚶鳴の状況>物事が成り立つ時は、必ず同じ志や方向性を持つ人や物が共振共鳴して、引き寄せる。
<十八の最後の夏は家の中>令和2年の高校生俳句選集『17音の青春2021』が届いた。
「もう一つのワールドカップ」の日本代表チームに、熊本在住の若者が選ばれた。
(スポーツ談義)一人ひとりに合った教育が、これから益々必要。
<教育の中心は、人の道を教える>広域強盗事件。金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思う。
<嚶鳴の状況>物事が成り立つ時は、必ず同じ志や方向性を持つ人や物が共振共鳴して、引き寄せる。
<十八の最後の夏は家の中>令和2年の高校生俳句選集『17音の青春2021』が届いた。
「もう一つのワールドカップ」の日本代表チームに、熊本在住の若者が選ばれた。
(スポーツ談義)一人ひとりに合った教育が、これから益々必要。
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