2010年05月07日

人間関係を再構築することが、「公」の復興になる

人間関係を再構築することが、「公」の復興になる

 私は、幕末に熊本・福井・江戸で活躍した政治思想家の横井小楠の顕彰活動に19年近く関わった来ました。その縁は、地元紙の歴史の勉強会の案内が始まりました。
 この横井小楠は、幕末に活躍した志士たちに多大な影響を与えました。勝海舟は、「世に怖ろしい人物が二人居る、横井小楠と西郷隆盛」と評価し、自分も意見を何度も交わしていますが、代理で三度、坂本龍馬を小楠の私邸「四時軒」へ遣わして、意見交換をしています。

・横井小楠思想、「公」「平和外交(世界の世話やき)」
 この小楠の政治哲学の根幹にあるものが「公の思想」です。公(おおやけ)という言葉が、熊本でよく聞くようになったのは、昨年の「横井小楠生誕200記念事業」の影響が大きいように思います。
 小楠の「公」は、親方日の丸の官僚機構の「お上」意味ではなくで、一般民衆を中心とする「共助」の考えに近いものですが、元々が藩校の秀才ですから、武士道の流れにあるので、帝王学の影響も大きいと思います。
 小楠は、晩年には「共和制」「大統領制」に興味を持ち、攘夷・開国の志士たちの行動とは別に、互の国を尊重する平和外交を中心とする国際社会を目指す提言を残しています。

 5月4日、宮崎市の書店で手に入れた、藤原和博著「人生の教科書『人間関係』」という、薄い文庫本(190ページ)ですが、妻と子どもがショッピングをしていた約1時間半で読み終わり、さわやかな気分を味わいました。そのテーマの中心が「公(おおやけ)」とコミュニケーションでした。末尾のあとがきの抜粋を紹介します。

(本文より)
 これ以上、「公(おおやけ)」意識をないがしろにしたまま国づくりを進めれば、間違いなく日本は、その繁栄の歴史に幕を引くことになるだろう。

「美しい国」どころではない。
 ちょっと想像力を働かせてみれば、次のシナリオがまんざら絵空事ではないことが分かってもらえるはずだ。いずれも今日、日本ですでに起こっていることの延長上で、悪い方に転べば、現実化することだから。

 日本語は、テレビ語とケータイメール語に占領され、あちこちで言葉の齟齬(そご)によるコミュニケーション上のトラブルが頻発するようになる。じつは、いま起こっているイジメ問題のベースにもこのことがある。やがて、日本人同士の間でも通訳がいなければことが収まらなくなり、「あ、うん」の呼吸どころか、意思疎通自体に膨大な時間を要するチョー不便な国になり下がってしう。(中略)

 伝わりにくい気持ちやコミュニケーションのギャップを前提にして、それでも人が生きることに保障を与えてやいた「地域社会」が、都市部で弱体化している。
「公」という意識をないがしろにして、ひたすら「チョー便利社会」を追いかけるたことで、町会の繋がりやお祭りなどの通過儀礼、商店会の交流という、面倒くさいが厚みのある人間関係を壊してしまったからだ。こうして、地域社会の特質だった、多様な人間関係を包み込み寛容性やゆとりが失われていった。
 地域社会とは、本来、何丁目何番という住所地番のことを言うのではない。そこに住み、そこで人生を生きる人々のコミュニケーションの束そのものを指す。だから、日本が今失おうとしているものが、町会や商店会という組織ではなく、「コミュニケーション」そのものだということに、すべての日本人は早く気づくべきだろう。
 コミュニケーション技術の訓練の場が、地域という「公」の土俵なのである。(中略)
 (以上、「人生の教科書『人間関係』」)

・「文明の力」、「文化の力」
 「チョー便利社会」を目指してきて日本は、幕末に見た「黒船」に衝撃を受けた。これが、「文明の力」と思います。
 伝統や習慣は、地域社会を維持していくルール(こだわり)とも言えるようなもので、これが「文化の力」と思います。
 文明は、世界人類が共通する「チョー便利」を目指すもの。
 文化は、日々暮らす人と人が織り成す生活を円滑に維持運営する「決まりごと」のようなもの。
 日本は、世界一を目指して明治以来、走り続けてきた。先進国になり、超高齢化、低成長・ゼロ成長の経済、便利から生活を重視する「地域の維持」に目が向くようになった来たように思います。

・「公」意識は、情報力と交友+教養力 
 これからの人たちは、「文明」と「文化」の意味を理解し、自分を取り巻く人々が暮らしやすい地域環境を構築する意識を持ち、加えて世界の人々とも「苦難」共有し、解決する行動力を持つことが必要と思います。
 「公」とは、一人ひとりが情報力と交友を発展させ、社会に対する参画していく、人間的魅力「教養力」を研くことが求められると思います。
 
*参考資料:藤原和博著「人生の教科書『人間関係』」


同じカテゴリー(私の意見)の記事画像
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
今日の熊日新聞の投稿欄「読者の広場」に、国会議員削減の提案の投稿文。
今日は、宮崎市で開催される宮崎平成義塾の集まりに参加、他。
(都市と地方)「国家財政危機」菅首相が消費税引き上げに前傾
(東京報告)「環成経」、スカイツリー、出会い、他
本完成「なかまづくり まちづくり」(「八十八の実践報告」)
同じカテゴリー(私の意見)の記事
 人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜 (2023-09-02 19:07)
 <人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜 (2020-12-05 10:16)
 <藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。 (2019-07-14 08:56)
 <スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。 (2014-09-08 17:03)
 歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。 (2014-08-27 12:20)
 「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。 (2014-08-26 08:52)

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:30│Comments(0)私の意見
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。