2011年07月06日
『日本人の感性』、過信と欲くは、人間を豹変させる
『日本人の感性』、過信と欲くは、人間を豹変させる
昨夜から大雨です。梅雨は、緯度で言うとエジプトのカイロと同じ位置にある熊本が、湿気はあるがどうにか過せる気候を作り出します。しかし梅雨の大雨が被害をもたらす事もあり、猛暑の乾燥地域とは違った悩みもある。
日本人は、季節を歌や俳句にして来た。桜の回廊、秋の紅葉など、広い風景を人が動く事で感じる季節を、俳句や和歌に綴ってきました。
歌人の与謝野晶子の春の歌があります。京都の桜に季節、当時出会ったばかりの与謝野鉄幹との逢瀬を読んでいます。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよい逢う人みなうつくしき」
これは、与謝野晶子の『みだれ髪』のある歌ですが、賑わう京都の桜の名所を多くの人が夜桜見物に出ていて、その風景を見ながら、鉄幹の許へ急ぐ晶子の様子がうかがえます。
(参考:佐々木健一著『日本人の感性』)
過信と欲くは、人間を豹変させる(名言は、良い意味だが?)
久々に守屋洋著『「韓非子」を見よ!』を読んで、目に止まった「小さなことに注目し大局を読む」の解説を読むと、:(以下、転載)厳しい現実にを生きていくためには人間を読むだけではまだ不十分である。それに加えてさらに、いま自分はどういう状態に置かれているのか、時代はどうか動いているのかなど、自分をとり巻く状況を読み取り、機敏な対応を心がけなければならない。・・(中略)
韓非子の教示は、「聖人は微(び)を見て以って萌(ほう)を知り、端(たん)を見て以って末を知る。故に象著(ぞうちょ)を見て恐れしは、天下も足らざるを知ればなり」、これは殷王朝を亡ぼした紂王(ちゅうおう)が、過信から象牙に箸を使い始めた。重臣の箕子は、どんどんエスカレートすると気づいた。ついに国まで滅ぼしてしまった。欲とは怖いものです。
昨夜から大雨です。梅雨は、緯度で言うとエジプトのカイロと同じ位置にある熊本が、湿気はあるがどうにか過せる気候を作り出します。しかし梅雨の大雨が被害をもたらす事もあり、猛暑の乾燥地域とは違った悩みもある。
日本人は、季節を歌や俳句にして来た。桜の回廊、秋の紅葉など、広い風景を人が動く事で感じる季節を、俳句や和歌に綴ってきました。
歌人の与謝野晶子の春の歌があります。京都の桜に季節、当時出会ったばかりの与謝野鉄幹との逢瀬を読んでいます。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよい逢う人みなうつくしき」
これは、与謝野晶子の『みだれ髪』のある歌ですが、賑わう京都の桜の名所を多くの人が夜桜見物に出ていて、その風景を見ながら、鉄幹の許へ急ぐ晶子の様子がうかがえます。
(参考:佐々木健一著『日本人の感性』)
過信と欲くは、人間を豹変させる(名言は、良い意味だが?)
久々に守屋洋著『「韓非子」を見よ!』を読んで、目に止まった「小さなことに注目し大局を読む」の解説を読むと、:(以下、転載)厳しい現実にを生きていくためには人間を読むだけではまだ不十分である。それに加えてさらに、いま自分はどういう状態に置かれているのか、時代はどうか動いているのかなど、自分をとり巻く状況を読み取り、機敏な対応を心がけなければならない。・・(中略)
韓非子の教示は、「聖人は微(び)を見て以って萌(ほう)を知り、端(たん)を見て以って末を知る。故に象著(ぞうちょ)を見て恐れしは、天下も足らざるを知ればなり」、これは殷王朝を亡ぼした紂王(ちゅうおう)が、過信から象牙に箸を使い始めた。重臣の箕子は、どんどんエスカレートすると気づいた。ついに国まで滅ぼしてしまった。欲とは怖いものです。
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
「人は誰もが、大河の一滴である」〜五木寛之著『死の教科書ー心が晴れる48のヒントー』〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
<人の時のアセス>愚直に生きた夏目漱石、その思考は『老子』を参考にしていた。〜半藤一利〜
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 13:31│Comments(0)
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