2012年01月03日
新年のご挨拶
新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。今年は、年初からサッカーで一年が始まりました。元旦の午前中は、隣り町の中学校サッカー部のOBが集まる「初蹴り会」があり、 サッカー協会の会長として始めて応援(差入) に出かけて、久々に旧友たちとも再会ができ、うれしい新年のスタートでした。午後は、親戚や地区出身の若者が来たりとかで、天皇杯サッカー決勝は見れなかったのですが、J2のFC東京が優勝した。F C 東京はJ1 昇格も果たし、2つの喜びに沸いたようだ。昨年のJ1 は、J2から上がった柏レイソルがリーグ制覇し、J1とJ2の実力差が縮まったように思います。日本サッカー界の地道な取り組みが、身を結び始めていると思います。
新年最初の言葉を何にするか考えたのですが、年末からテーブルにあった、四書五経の『大学』を読むことにしました。今回で5度目てすが、その時々の仕事や役、気分でも感じる言葉の意味が違って来ます。実は、元旦の新聞に目を通していないのですが、少々反省の気分からも「修己治人の学」の『大学』を、開きました。
この本は、朱子学の祖の朱子がまとめたものですが、幕末の思想家横井小楠も重視していました。
小楠の有名な漢詩に、その思いがつづられています。その末尾の言葉が「君子の道は、身を修むるにあり」と。君子とは、上に立つ者のこと。リーダーの生き方を説いています。
『大学』の教示を、私は勝手に理解して、その中心にあると思っているのが、「修身、斉家、治国、平天下」です。
後から
「平天下」は、世界平和(協調、当時は国)、
「治国」は、藩や地方国家の安定、
「斉家」は、わが家の安泰、
「修身」は、自分を鍛え向上させる行い、と私は考えています。横井小楠の漢詩の最後にも、自分を修める、意味があると思っています。
人は、意識をする、しない、にしろ4つのことに関係しながら生きています。かの中で、自己責任として出来るのが「終身」です。年末に書いた「個性」と「人格」で、個性とは変わらない癖、人格とは自分の感情をコントロールする抑制力、と思うのですが、この2つを日常生活で実践するのが「終身」と思います。
人は、学習、経験、反省、学習、…、と繰り返しながら、成長して行く思います。反省しなくてよい人は、よっぽどの天才以外は、居ないと思います。癖を限りなく減らし、喜怒哀楽を周りに配慮しながらコントロール出来れば、それこそ終身の実践と思います。
『大学』の第一章は、「明徳を明らかにす」。
解説に、次の一節がある。
「わが父、文王はみずからの徳をもって天下の人びとを感化するように努められた」
とある。
徳をもって感化する、なかなか理解が難しのですが、要は、日々の文王の生き方(実践)から、周りの人びとが感じ、それを真似して、社会が段々良好な地域に変わり、地方が変わり、国が変わる。大切なのは、リーダーの日々の生活そのものが大事と言うことになります。
東日本大震災後の、政界、財界のトップにある方々の言動が明らかになるにつれ、小楠の「君子の道は身を修むるにあり」からも、リーダーの日々の行動そのものが。国民の意識に影響を与えることが分かります。
私自身、小規模の地方都市の市議ですが、身を持って、私は自分自分をコントロール出来ているかは、恥ずかしいばかりの実践結果です。それを反省し、少しでも周りに悪影響を与えないように、周りが気分良く生活出来るように、実践するのを今年の年初の読書から学びました。
今年一年は、学習、経験、反省、学習、…、のサイクルを忘れずに、日常生活で実践して行きたいと思います。
明けましておめでとうございます。今年は、年初からサッカーで一年が始まりました。元旦の午前中は、隣り町の中学校サッカー部のOBが集まる「初蹴り会」があり、 サッカー協会の会長として始めて応援(差入) に出かけて、久々に旧友たちとも再会ができ、うれしい新年のスタートでした。午後は、親戚や地区出身の若者が来たりとかで、天皇杯サッカー決勝は見れなかったのですが、J2のFC東京が優勝した。F C 東京はJ1 昇格も果たし、2つの喜びに沸いたようだ。昨年のJ1 は、J2から上がった柏レイソルがリーグ制覇し、J1とJ2の実力差が縮まったように思います。日本サッカー界の地道な取り組みが、身を結び始めていると思います。
新年最初の言葉を何にするか考えたのですが、年末からテーブルにあった、四書五経の『大学』を読むことにしました。今回で5度目てすが、その時々の仕事や役、気分でも感じる言葉の意味が違って来ます。実は、元旦の新聞に目を通していないのですが、少々反省の気分からも「修己治人の学」の『大学』を、開きました。
この本は、朱子学の祖の朱子がまとめたものですが、幕末の思想家横井小楠も重視していました。
小楠の有名な漢詩に、その思いがつづられています。その末尾の言葉が「君子の道は、身を修むるにあり」と。君子とは、上に立つ者のこと。リーダーの生き方を説いています。
『大学』の教示を、私は勝手に理解して、その中心にあると思っているのが、「修身、斉家、治国、平天下」です。
後から
「平天下」は、世界平和(協調、当時は国)、
「治国」は、藩や地方国家の安定、
「斉家」は、わが家の安泰、
「修身」は、自分を鍛え向上させる行い、と私は考えています。横井小楠の漢詩の最後にも、自分を修める、意味があると思っています。
人は、意識をする、しない、にしろ4つのことに関係しながら生きています。かの中で、自己責任として出来るのが「終身」です。年末に書いた「個性」と「人格」で、個性とは変わらない癖、人格とは自分の感情をコントロールする抑制力、と思うのですが、この2つを日常生活で実践するのが「終身」と思います。
人は、学習、経験、反省、学習、…、と繰り返しながら、成長して行く思います。反省しなくてよい人は、よっぽどの天才以外は、居ないと思います。癖を限りなく減らし、喜怒哀楽を周りに配慮しながらコントロール出来れば、それこそ終身の実践と思います。
『大学』の第一章は、「明徳を明らかにす」。
解説に、次の一節がある。
「わが父、文王はみずからの徳をもって天下の人びとを感化するように努められた」
とある。
徳をもって感化する、なかなか理解が難しのですが、要は、日々の文王の生き方(実践)から、周りの人びとが感じ、それを真似して、社会が段々良好な地域に変わり、地方が変わり、国が変わる。大切なのは、リーダーの日々の生活そのものが大事と言うことになります。
東日本大震災後の、政界、財界のトップにある方々の言動が明らかになるにつれ、小楠の「君子の道は身を修むるにあり」からも、リーダーの日々の行動そのものが。国民の意識に影響を与えることが分かります。
私自身、小規模の地方都市の市議ですが、身を持って、私は自分自分をコントロール出来ているかは、恥ずかしいばかりの実践結果です。それを反省し、少しでも周りに悪影響を与えないように、周りが気分良く生活出来るように、実践するのを今年の年初の読書から学びました。
今年一年は、学習、経験、反省、学習、…、のサイクルを忘れずに、日常生活で実践して行きたいと思います。
人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
Posted by ノグチ(noguchi) at 08:00│Comments(0)
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