2012年07月11日

チャンスは、賢さよりも熱意ある人に来る

チャンスは、賢さよりも熱意ある人に来る

谷沢永一著『松下幸之助の知恵』なる本を古本屋で手に入れて、時々開いている。

今日の一番の発見は「源頼朝の見識」のページです。

頼朝は、一度兵を上げて戦い始めたが苦戦して、房総まで逃れ、再度、関東の武士へ呼びかけた。一番期待していた上総介広常が二万の兵を率いて遅れて参加した。数千の兵の頼朝は、広常が遅れたことをかんかんに怒った。止めどもなく、怒鳴る。

この行動は、早く来たリーダーを評価し、数が多かろうが遅れたリーダーに喝を入れた。広常は、平家に寝返りの意志もかすかに残っていたが、頼朝に付いて行くことを決めた。 総大将の言動として、後々まで語り草になった。


さて、チャンスについて、松下幸之助氏の講話の一節が紹介されていたのを、谷沢永一氏の解説から、抜粋して書きます。

人間はどうも、生まれながらに大変記憶力の良い人と、悪い人がいるようだ。体力に恵まれている人と、恵まれない人が歴然とあるように、記憶力という精神の筋力についても、恵まれている人というのは確かにある。世間の人は、その記憶力に恵まれている人を賢い人と錯覚するが、実は賢いということは記憶力とは関係ない。

(松下幸之助語録)抜粋
チャンスをつかめと言っても、ふつうの程度の努力をしていただけでは、チャンスをチャンスとして見極められない。やはり熱心であること。熱心な上に熱心であること。その熱心さがチャンスを見分ける眼を養っていくのである。(略)

どんな賢く生まれついたと言っても、熱心さがなかったら、その賢さが賢さとして、自他ともの恵みにはならない。(略)

それよりも熱心であること。何事にも熱心であること、誰よりも熱心であること。熱心から生まれる賢さが、自他ともに真の幸せを生むのである。
(『続・PHP道をひらく』)

また、谷沢永一氏は、次のようにも語っている。

若い時の賢者ぶった姿勢と言うのは警戒すべきで、そういう人は大きく伸びない。(略)

弓矢と同じで、間違った矢ばかり飛ばしているうちに、だんだん的にあたってくるわけで、弓も矢も持たないで外から傍観しているエセ賢者タイプ、将来成長する見込みはない。
(谷沢永一著『松下幸之助の知恵』より)


チャンスは、前髪しかない。努力するものしかチャンスは見えない。

棚からぼた餅、なる受動的なチャンスの待ち方では、真の幸せはない。積極的に、行動してこそチャンスに出会う。何事にも熱心に努めれば、誰かがあなたの生き様を見ています。より良き、後半生があることを、願っています。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 17:37│Comments(0)リーダーの名言
 
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