2008年02月25日
人の美をつくる(善事を応援)「開運のすすめ」
人の美をつくる(善事を応援)「開運のすすめ」
人の美をつくるとはどういうことをいうのであろうか。
たとえば、玉のような美しいものでも、石の中にまじっているとき、これを放って置け
ば、それはつまらない瓦礫にすぎない。しかし磨けば玉のような美玉となる。
故におよそ人が何か善を行うのを見た場合に、その人の志すところを取るべき善いところがあり、その資質も進歩する可能性があるならば、みなを助けし、或いは成功するまで支持し、或いはそのために免罪をはらしてやり、その誹謗を明らかにしてやり、いろいろと努力してこれを成立させるというようにすべきである。
一般に、人というものはおおむね自分の同類でないものを嫌がるものである。近傍の村人には善人は少なく、不善人は多いものである。それ故、一つの善事を見れば、人々は寄ってたかって共にこれを誹謗するものである。したがって善人が世間にあってもまた自立して善を行うことは難しい。その上、人にすぐれた人物は、錚錚(そうそう)として優れているけれども、行いを修めず甚だ行動が変わっているから、その欠点を指摘しやすい。
そのようなわけで、善事は常に敗れやすく、しまも、善人は常に誹謗され、いつも自分を完(まっと)うすることができない。ただ、仁人長者だけは、よく正しく直してこれらをたすけてやることができる。故に仁人長者は一郷に在ってはその一郷の元気を回復することができ、一国に在っては、もって一国の命脈を育てることができる。その巧徳は最も大きいものである。
(解説)
人が善い行いをしようとしている時、真心から出ている行為なら励まし、手助けし、邪魔をする者から守ってやるべきであろう。その善行の達成によって、その人の存在が美玉のように世に認められることを願うべきであろう。
だが、善事を行う場合には、誹謗し、中傷する者が必ず出て来てまっとうし難いものである。そこで、その善事が完成するようにするには、一人でも多くの、勇気を持った手助けの人たちが必要となるのである。
そして、その成果は巡りめぐって援助する人たちも恩恵をこうむることになり、またその人たちのみならず、多くの人たちの開運にともなるのである。
(感想)
世の人を前にして、善事を行うことはけっこう勇気の要る事ですが、子供の時は素直な気持ちで、手助けの心が湧き出るものです。しかし、大人になると周りの声をきにしてか、なかなか出来ない風景もですが、自分自身も考えている間に、その場面が過ぎ去ってしまった経験もあります。
日本人は、人の意見をいかに気にするか、考えてしまいます。しかし、周辺や地域に、見識(人望)有る方が居て、面と向かってではなくても、支持を表明し「応援」の行動に出てくれる人がいると、勇気が湧いて来るものと思います。
これからの社会には、良識ある長老・先輩の応援の声が、地域を元気にする人材を育てる原動力になるように思います。
永淵氏の「開運のすすめ」を読み、全ての人々が社会改善に関心を持つことの重要と感じた教訓と思います。
*参考資料:永淵道彦著「開運のすすめ」~『陰隲録』に学ぶ~
「コミュニティ」
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
人の美をつくるとはどういうことをいうのであろうか。
たとえば、玉のような美しいものでも、石の中にまじっているとき、これを放って置け
ば、それはつまらない瓦礫にすぎない。しかし磨けば玉のような美玉となる。
故におよそ人が何か善を行うのを見た場合に、その人の志すところを取るべき善いところがあり、その資質も進歩する可能性があるならば、みなを助けし、或いは成功するまで支持し、或いはそのために免罪をはらしてやり、その誹謗を明らかにしてやり、いろいろと努力してこれを成立させるというようにすべきである。
一般に、人というものはおおむね自分の同類でないものを嫌がるものである。近傍の村人には善人は少なく、不善人は多いものである。それ故、一つの善事を見れば、人々は寄ってたかって共にこれを誹謗するものである。したがって善人が世間にあってもまた自立して善を行うことは難しい。その上、人にすぐれた人物は、錚錚(そうそう)として優れているけれども、行いを修めず甚だ行動が変わっているから、その欠点を指摘しやすい。
そのようなわけで、善事は常に敗れやすく、しまも、善人は常に誹謗され、いつも自分を完(まっと)うすることができない。ただ、仁人長者だけは、よく正しく直してこれらをたすけてやることができる。故に仁人長者は一郷に在ってはその一郷の元気を回復することができ、一国に在っては、もって一国の命脈を育てることができる。その巧徳は最も大きいものである。
(解説)
人が善い行いをしようとしている時、真心から出ている行為なら励まし、手助けし、邪魔をする者から守ってやるべきであろう。その善行の達成によって、その人の存在が美玉のように世に認められることを願うべきであろう。
だが、善事を行う場合には、誹謗し、中傷する者が必ず出て来てまっとうし難いものである。そこで、その善事が完成するようにするには、一人でも多くの、勇気を持った手助けの人たちが必要となるのである。
そして、その成果は巡りめぐって援助する人たちも恩恵をこうむることになり、またその人たちのみならず、多くの人たちの開運にともなるのである。
(感想)
世の人を前にして、善事を行うことはけっこう勇気の要る事ですが、子供の時は素直な気持ちで、手助けの心が湧き出るものです。しかし、大人になると周りの声をきにしてか、なかなか出来ない風景もですが、自分自身も考えている間に、その場面が過ぎ去ってしまった経験もあります。
日本人は、人の意見をいかに気にするか、考えてしまいます。しかし、周辺や地域に、見識(人望)有る方が居て、面と向かってではなくても、支持を表明し「応援」の行動に出てくれる人がいると、勇気が湧いて来るものと思います。
これからの社会には、良識ある長老・先輩の応援の声が、地域を元気にする人材を育てる原動力になるように思います。
永淵氏の「開運のすすめ」を読み、全ての人々が社会改善に関心を持つことの重要と感じた教訓と思います。
*参考資料:永淵道彦著「開運のすすめ」~『陰隲録』に学ぶ~
「コミュニティ」
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
名著『陰隲録』から、聖王「舜」の行動からリーダーシップとは
(子への訓示)子供の天啓に望みをかける~名著「陰隲録」を読む
福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です
(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」
「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり)
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
(子への訓示)子供の天啓に望みをかける~名著「陰隲録」を読む
福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です
(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」
「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり)
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
Posted by ノグチ(noguchi) at 09:14│Comments(2)
│開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ
この記事へのコメント
善事はとても勇気がいります。努力して自分に自信を付けなければできません。努力しなければ・・・・
Posted by ピナピナ
at 2008年02月26日 08:44

無理をせずに出来ることからやることが大事と思います。
私は、好きなサッカーから始めました。
12年目ですが、5~9才のサッカー教室とても楽しくやっています。
今日は、1年、2年共10チーム中4位でした。
決勝トーナメントには進めませんでしたが、楽しく一日サッカーを出来ました。
私は、好きなサッカーから始めました。
12年目ですが、5~9才のサッカー教室とても楽しくやっています。
今日は、1年、2年共10チーム中4位でした。
決勝トーナメントには進めませんでしたが、楽しく一日サッカーを出来ました。
Posted by ノグチ
at 2008年03月03日 03:22
