2008年07月06日
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」より、一説を紹介します。
「現代語訳」
江陰の張畏岩は、学問を積み、文章を作ることが巧で、学者の間で名声が高かった。甲午の歳(万歴二十二年)南京の郷試のときに、ある寺に宿をとっていた。やがて試験も終わり、発表を見ると落第していた。
そこで大いに試験管をののしり、試験管は見る目がないといった。そのとき一人の道者が側にいたが、にやにやとあざ笑った。これを見て張畏岩は急に怒りを道者の方にむけて、
「お前はどうしてわしを笑うのか」
とどなりつけた。すると道者がいうには、
「あなたの文章を判断して見ると、必ずよいものではないと思う」
ということであったので、張畏岩はますます怒っていうには、
「お前は、まだわしの文を見ていないではないか。それなのに、どうして良くないといいことがわかるのか」
道者は、すぐにそれに答えて、
「私は、『文章を作るには、心気のおだやかで平らなかのを貴ぶ』ということを聞きいているが、いまあなたが試験管を罵倒する言葉を聴くと、どうもあなたの胸中に不平不満が多いようです。そのようなことで、どうして巧みな文章がかけましょうか」
といった。張畏岩は、はっと驚き、思わずひれ伏し、道者について教えを請うことになった。さて道者がいうには、
「もし、試験に合格する運命ならば、文章が上手でなくともやはり合格する。運命がもしも及第すべき運命でなかったならば、いくら文章が巧くても、なにもならない。無益なことである。本当に試験に及第したければ、自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである」と。
「読 釈」
万歴二十二年、南京における郷試(進士の予備試験)の祈りの話である。張畏岩のような人は現代においても、まま見受けられるものである。自信のないままに受けた試験で合格した人物が、同じ試験を受けて不合格だった人物にそのことを言ったとする。
するとこれに対して、不合格だった人が反省することなく、そうですよ、あなたなどまぐれですよ、自分を落とすなど以てのほかだといった言動や態度などがそうである。
なかなか出来ないことであるが、謙虚な心で人のことばや注意を受け入れてこそ、自分自身をより良い方へと変えることができるものである。
ましてや、人からの評価に不平不満を持つことはどうであろうか。才能がありながらも、自分を損なうことになると言えよう。
「感 想」
評価は、自分よがりでしたくなるものです。努力をしても結果がすべて、覆すことはできません。後は、その現実(結果)を謙虚に受け止め、次の打開策をいかに構築できるように、心を入れ替えれるかが大事と思います。
試験や選挙の敗北の原因を、外に求めてばかりいては、次の策がなかなか思に付くものではありません。やはりその原因の多くは、自分自身に在ると考えたが正しいと思います。
人間関係は、作用反作用の関係にあると聞いたことがあります。周りを変えるためには、自分が変わることと思います。自分が変われば、周りも刺激されて変化を起こします。不平不満をぶちまけるより、自分が変化し、周りがより良き方向へ進むように考え行動を起す(心を変える)ことが必要と思います。
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
自分を省みる、大事な言葉と思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」より、一説を紹介します。
「現代語訳」
江陰の張畏岩は、学問を積み、文章を作ることが巧で、学者の間で名声が高かった。甲午の歳(万歴二十二年)南京の郷試のときに、ある寺に宿をとっていた。やがて試験も終わり、発表を見ると落第していた。
そこで大いに試験管をののしり、試験管は見る目がないといった。そのとき一人の道者が側にいたが、にやにやとあざ笑った。これを見て張畏岩は急に怒りを道者の方にむけて、
「お前はどうしてわしを笑うのか」
とどなりつけた。すると道者がいうには、
「あなたの文章を判断して見ると、必ずよいものではないと思う」
ということであったので、張畏岩はますます怒っていうには、
「お前は、まだわしの文を見ていないではないか。それなのに、どうして良くないといいことがわかるのか」
道者は、すぐにそれに答えて、
「私は、『文章を作るには、心気のおだやかで平らなかのを貴ぶ』ということを聞きいているが、いまあなたが試験管を罵倒する言葉を聴くと、どうもあなたの胸中に不平不満が多いようです。そのようなことで、どうして巧みな文章がかけましょうか」
といった。張畏岩は、はっと驚き、思わずひれ伏し、道者について教えを請うことになった。さて道者がいうには、
「もし、試験に合格する運命ならば、文章が上手でなくともやはり合格する。運命がもしも及第すべき運命でなかったならば、いくら文章が巧くても、なにもならない。無益なことである。本当に試験に及第したければ、自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである」と。
「読 釈」
万歴二十二年、南京における郷試(進士の予備試験)の祈りの話である。張畏岩のような人は現代においても、まま見受けられるものである。自信のないままに受けた試験で合格した人物が、同じ試験を受けて不合格だった人物にそのことを言ったとする。
するとこれに対して、不合格だった人が反省することなく、そうですよ、あなたなどまぐれですよ、自分を落とすなど以てのほかだといった言動や態度などがそうである。
なかなか出来ないことであるが、謙虚な心で人のことばや注意を受け入れてこそ、自分自身をより良い方へと変えることができるものである。
ましてや、人からの評価に不平不満を持つことはどうであろうか。才能がありながらも、自分を損なうことになると言えよう。
「感 想」
評価は、自分よがりでしたくなるものです。努力をしても結果がすべて、覆すことはできません。後は、その現実(結果)を謙虚に受け止め、次の打開策をいかに構築できるように、心を入れ替えれるかが大事と思います。
試験や選挙の敗北の原因を、外に求めてばかりいては、次の策がなかなか思に付くものではありません。やはりその原因の多くは、自分自身に在ると考えたが正しいと思います。
人間関係は、作用反作用の関係にあると聞いたことがあります。周りを変えるためには、自分が変わることと思います。自分が変われば、周りも刺激されて変化を起こします。不平不満をぶちまけるより、自分が変化し、周りがより良き方向へ進むように考え行動を起す(心を変える)ことが必要と思います。
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
自分を省みる、大事な言葉と思います。
<コミュ>
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http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
名著『陰隲録』から、聖王「舜」の行動からリーダーシップとは
(子への訓示)子供の天啓に望みをかける~名著「陰隲録」を読む
福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です
(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」
「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり)
(開運のすすめ)夏建所の例~開運は謙虚にあり~
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Posted by ノグチ(noguchi) at 22:46│Comments(0)
│開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ