2013年01月17日
大分は、大人の社会学習の先進地、4月に中津市に行きます。
大分は、大人の社会学習の先進地、4月に中津市に行きます。
今朝、中津龍馬会の友人電話があった。「毎月15日の午前10時から約2時間、西日本の様々な分野で活動している人を招き、講話と座談会をやっているので、一度出て来ませんか?」と。
中津龍馬会の楠木代表は、私が5年前にやった「南部九州市長サミット」、指宿市、人吉市、宇城市の市長を人吉市に集まってもらい、農業と食についてのシンポジウムを開催した。
その時、仲間3人を連れて、中津から人吉市まで駆けつけて、夜の交流会まで参加してくれました。それを機会として、3年前から準備し、2年前から毎月15日に座談会を開催し、途中から活動家を招き講話と懇談会を開催されています。
私が、年に4回開催してきた異業種交流会「四季の会」も参考にされているようで、時々様子を報告方々電話があります。毎年、年始電話の最後に聞かれるのが、「今年は何かしますか?」と、四季の会は続けるのはご存知なので、他何かしますかの意味。
そこで私が、「宮部鼎蔵の顕彰活動をはじめます。特に吉田松陰との交友を中心に、私は研究者ではないので、歩くことで何かできないか考えています。調査ウォークが終わったら、中津龍馬会で報告させていただきます」と電話を切りました。
中津は、福沢諭吉の生まれ故郷、学問の町として取り組みが続けられています。私も参加する九州創発塾の前身の九州平成義塾の起こりは、慶應義塾大学に縁の深い中津で、新たな大人の塾を起こす活動が始まったのを、当時の大分県知事の平松氏が知り、規模を大きくして始まったのが九州平成義塾でした。
また大分は、環境活動家の研究報告と交流を目的とする「九州環境教育ミーティング」の発祥の地で、先駆的な取り組みが多く始まる地域と思います。
昨日は、九州の道州制シンポジウムが開催され、有意義な議論を聞いたのですが、今年21回目を迎える九州7県の新聞社が主催する九州創発塾ですが、大分で初めて開催された九州平成義塾の当初から「九州は一つ」が、参加者の共通した思いとなっています。
昨日の道州制の歴史的背景にも、昭和40年代から、主催が国主導から、地域主導に移りながら、道州制について語られて来て、九州平成義塾の「九州は一つ」の気持が生まれてくるのだと思います。
話は、長くなりますが、個人個人で
九州の活動家と頻繁に交流することが、九州全域を自分の活動範囲と意識するようになり「九州は一つ」、道州制へ意識が向くのだと思います。
道州制議論が始まってそろそろ半世紀、日本の経済状況、アジア情勢、県ではなく、国でもない、州という大きさで物事を考える時代になったと感じています。
2つの調査ウォークを終えて、4月当たりに、中津に行ってみたいと思っています。福沢諭吉記念館も訪ねたいと考えています。
今朝、中津龍馬会の友人電話があった。「毎月15日の午前10時から約2時間、西日本の様々な分野で活動している人を招き、講話と座談会をやっているので、一度出て来ませんか?」と。
中津龍馬会の楠木代表は、私が5年前にやった「南部九州市長サミット」、指宿市、人吉市、宇城市の市長を人吉市に集まってもらい、農業と食についてのシンポジウムを開催した。
その時、仲間3人を連れて、中津から人吉市まで駆けつけて、夜の交流会まで参加してくれました。それを機会として、3年前から準備し、2年前から毎月15日に座談会を開催し、途中から活動家を招き講話と懇談会を開催されています。
私が、年に4回開催してきた異業種交流会「四季の会」も参考にされているようで、時々様子を報告方々電話があります。毎年、年始電話の最後に聞かれるのが、「今年は何かしますか?」と、四季の会は続けるのはご存知なので、他何かしますかの意味。
そこで私が、「宮部鼎蔵の顕彰活動をはじめます。特に吉田松陰との交友を中心に、私は研究者ではないので、歩くことで何かできないか考えています。調査ウォークが終わったら、中津龍馬会で報告させていただきます」と電話を切りました。
中津は、福沢諭吉の生まれ故郷、学問の町として取り組みが続けられています。私も参加する九州創発塾の前身の九州平成義塾の起こりは、慶應義塾大学に縁の深い中津で、新たな大人の塾を起こす活動が始まったのを、当時の大分県知事の平松氏が知り、規模を大きくして始まったのが九州平成義塾でした。
また大分は、環境活動家の研究報告と交流を目的とする「九州環境教育ミーティング」の発祥の地で、先駆的な取り組みが多く始まる地域と思います。
昨日は、九州の道州制シンポジウムが開催され、有意義な議論を聞いたのですが、今年21回目を迎える九州7県の新聞社が主催する九州創発塾ですが、大分で初めて開催された九州平成義塾の当初から「九州は一つ」が、参加者の共通した思いとなっています。
昨日の道州制の歴史的背景にも、昭和40年代から、主催が国主導から、地域主導に移りながら、道州制について語られて来て、九州平成義塾の「九州は一つ」の気持が生まれてくるのだと思います。
話は、長くなりますが、個人個人で
九州の活動家と頻繁に交流することが、九州全域を自分の活動範囲と意識するようになり「九州は一つ」、道州制へ意識が向くのだと思います。
道州制議論が始まってそろそろ半世紀、日本の経済状況、アジア情勢、県ではなく、国でもない、州という大きさで物事を考える時代になったと感じています。
2つの調査ウォークを終えて、4月当たりに、中津に行ってみたいと思っています。福沢諭吉記念館も訪ねたいと考えています。
人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
Posted by ノグチ(noguchi) at 09:40│Comments(0)
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