2008年04月18日
知識の豊富さより、自分を先導する師を持つ
知識の豊富さより、自分を先導する師を持つ
ドイツの教育の言葉に、レーゼマイスター(Lesemeister)、レーベマイスター(Lebemeister)があります。
レーゼマイスターと言うのは、Lesen(レーゼン)・本を読む。読師・本を読む先生。レーゼマイスターはいくらでも世の中に居る。
レーベマイスターと言うのは、Leben(レーベン)・生の意味。人生・生活・生命、われわれそのもの(人間そのもの)を導いてくれる師(先生)。このレーベマイスターは、世の中に乏しい。
日本にも似たような言葉があります。「論語読みの論語知らず」、つまり実践の学問でなければならない。人間的修養のできていない学習スタイルではなく、「論語』を体得して実践することが大事と、最近つくづく思うようになりました。
現在の日本の状況は、経済成長停滞期に入り、格差が開いているといわれます。こんなときこそ学び、自分自身を奮い立たせことが必要と思います。
意外と知られていないのが、バブルがはじけて以後も、経済成長が微妙に上がり続けて(一事は下降した)来たことはあまり報じられません。東アジアの経済成長と、価格破壊の中で、製造業は海外へ移転し、物づくり文化がしぼんでいます。戦後の成長期には、世界の工場と言われた日本の製造業が、その立場を変え、消費国へ転換に付いて行けずに迷走しています。
社会の価値(仕組み)が変るときは、知識だけの勉強では、付いて行けない人が出てきます。このような人達は、自分自身を改革(革新が)出来ずに、不況が普況になり、気持ちも低所も低迷することになります。新たな分野に挑戦する心の育成こそが、もっとも重要な教育ではないかと思います。
この人生の挑戦者へ心を変える教育を、教えるのでなく、導く師が゛レーベマイスター゛であります。
中国古典の「礼記」中に、西周の宰相・謝安の家庭教育の夫婦問答が載っていました。謝安は、著名な学者でもあるので、帰宅した謝安に、妻が文句を言います。
「貴方は、子供たちに何も教えない」と、愚痴をこぼすと、謝安は次のように答えました。
「私は、毎日教えている」
教育は、教えるのでなく、導くこと、行動で示す「垂範」が大事と言う教えと思います。昨日の日記ではないですが、知識詰め込みの机上の勉強ばかりでなく、徳を育てるには、体験や人と関わることで学ぶことが、必要なように感じます。
明治天皇に儒学を教示した三島中州の師「山田方谷」は、幕末の備中松山藩の宰相時代、内弟子として勉強に来ていた河井次之助(北陸戦争の英雄)に、語った言葉があります。
「(自分で学べなくなったら)人に学べ。まず地域にいる先輩、それでも居なければ全国の師、それでも居なければ歴史に学べ」と教示したと言います。
知識を学ぶのでなく、人の生き様を学ぶことの方が、人間を成長へ導くのかもしれません。郷土の偉人、国の偉人、世界の偉人の生き様、考え方を学ぶことは、自分を振り返る機会になると思います。そこには、挑戦心を気付かせる行動の記録があると考えています。
ドイツの教育の言葉に、レーゼマイスター(Lesemeister)、レーベマイスター(Lebemeister)があります。
レーゼマイスターと言うのは、Lesen(レーゼン)・本を読む。読師・本を読む先生。レーゼマイスターはいくらでも世の中に居る。
レーベマイスターと言うのは、Leben(レーベン)・生の意味。人生・生活・生命、われわれそのもの(人間そのもの)を導いてくれる師(先生)。このレーベマイスターは、世の中に乏しい。
日本にも似たような言葉があります。「論語読みの論語知らず」、つまり実践の学問でなければならない。人間的修養のできていない学習スタイルではなく、「論語』を体得して実践することが大事と、最近つくづく思うようになりました。
現在の日本の状況は、経済成長停滞期に入り、格差が開いているといわれます。こんなときこそ学び、自分自身を奮い立たせことが必要と思います。
意外と知られていないのが、バブルがはじけて以後も、経済成長が微妙に上がり続けて(一事は下降した)来たことはあまり報じられません。東アジアの経済成長と、価格破壊の中で、製造業は海外へ移転し、物づくり文化がしぼんでいます。戦後の成長期には、世界の工場と言われた日本の製造業が、その立場を変え、消費国へ転換に付いて行けずに迷走しています。
社会の価値(仕組み)が変るときは、知識だけの勉強では、付いて行けない人が出てきます。このような人達は、自分自身を改革(革新が)出来ずに、不況が普況になり、気持ちも低所も低迷することになります。新たな分野に挑戦する心の育成こそが、もっとも重要な教育ではないかと思います。
この人生の挑戦者へ心を変える教育を、教えるのでなく、導く師が゛レーベマイスター゛であります。
中国古典の「礼記」中に、西周の宰相・謝安の家庭教育の夫婦問答が載っていました。謝安は、著名な学者でもあるので、帰宅した謝安に、妻が文句を言います。
「貴方は、子供たちに何も教えない」と、愚痴をこぼすと、謝安は次のように答えました。
「私は、毎日教えている」
教育は、教えるのでなく、導くこと、行動で示す「垂範」が大事と言う教えと思います。昨日の日記ではないですが、知識詰め込みの机上の勉強ばかりでなく、徳を育てるには、体験や人と関わることで学ぶことが、必要なように感じます。
明治天皇に儒学を教示した三島中州の師「山田方谷」は、幕末の備中松山藩の宰相時代、内弟子として勉強に来ていた河井次之助(北陸戦争の英雄)に、語った言葉があります。
「(自分で学べなくなったら)人に学べ。まず地域にいる先輩、それでも居なければ全国の師、それでも居なければ歴史に学べ」と教示したと言います。
知識を学ぶのでなく、人の生き様を学ぶことの方が、人間を成長へ導くのかもしれません。郷土の偉人、国の偉人、世界の偉人の生き様、考え方を学ぶことは、自分を振り返る機会になると思います。そこには、挑戦心を気付かせる行動の記録があると考えています。
人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
<人生は出会いて決まる>動かなければ、我が家の"景気(動き)"は良くならない。〜自論〜
<藩校の顕彰>熊本藩の藩校「時習館」教育の研究活動が必要と思う。
<スポーツの力>錦織選手の決勝は9日の午前6時。全米勝てば世界のトップ5。
歴史の現場視察(ウォッチング)は、学問の基本ではないのか。
「活殺自在」、自然や環境というのは、未来の子供たちから預かっている社会的共通資本。
Posted by ノグチ(noguchi) at 20:06│Comments(0)
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