2008年04月28日

恥心を発する (開運のすすめ) 「開運に通じる改禍三綱領」

恥心を発する (開運のすすめ) 「開運に通じる改禍三綱領」

 毎週月曜日の開運のすすめの第二弾、改禍三綱領から、

(現代語訳)
 いま、福を得て禍から遠ざかろうと思うならば、善を行うことを論ずる以前に、まず過ちを改めることをするべきである。その過ちを改めるためには、まず第一番に恥を知る心を起こす必要がある。

 思うに、古(いにしえ)の聖人賢者は、やはり我々と同じように一人の人間にすぎない。それであるのに彼の聖賢はどうして万世の師表と仰がれることがあるのであろうか。それに反して自分はどうしてこの身は瓦のようにつまらなくだめになるのであろうか。

 世俗の欲望にひたり染まってしまい、人に知られぬように悪事をはたらき、しかも人は知るまいと思って、傲然といばりちらして恥じるところもない。これではまさに日に日に禽獣に堕落して、しかも自分で気付かない。世の中で恥ずかしいものは、このことぐらい甚だしいことはない。

 孟子は「恥じる心ほど人間にとって大事なものはない」といっているが、それはこの恥じる心を知れば聖賢となり、この心を失えば禽獣となるからである。この恥じる心を起こすことこそ過ちを改める機会である。


(解 説)

 幸福となり、禍いを避けたいと願うならば、善行を口にする前に自分の過ちを改めることが大切である。過ちを改めるには、まず第一に恥を知る心を持たねばならない。

 世の中で恥ずかしいことは、目の前に欲にとらわれ、人に知られず悪事をなし、しかも知られていないと思って平然としていることだ。ともすれば、そのことを自分でも気付いていない。これでは禽獣と同じではないか。すなわち、恥じる心を持てば聖賢に近づき、その心を失えば人でなしとなる。

 言うはやすく行なうはかたしであるが、この恥じる心を起こすことが過ちを改める第一歩である。心したいものである。


(感 想)
 改めることをしないことが、最も恥ずべき事の教えと思います。
 ミスを犯すのが凡人です。でも、それを気付き改心しないことは、恥ずべきことと思います。「恥心を発する」ことを、常に念頭に置いて、言動を気をつけたいものです。



*開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
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