2008年02月12日
人格に三種類あり、「上士、中士、下士」
人格に三種類あり、「上士、中士、下士」
昨日から、中国・明代末の哲人「呂新吾」の著書『伸吟語』を解説した、安岡正篤著「伸吟語を読む」を読んでいます。
これを読み進めるに、これを熊本の思想家が敬慕する「横井小楠」も読んだのではないかと思う文が、多々出て来ます。紙面の中にも、陽明学と分類した内容のことがありましたが、思想としては、その本人そのものですし、分類は後世の学者たちが喧々諤々と議論することなので、私の範疇で無いので意見は書かないことします。
「伸吟語」の一節に、つぎの言葉がありました。
「上士、中士、下士」
(本文より)
上士は道徳を重んじ、中士は功名を重んじ、下士は詞章を重んじ、斗肖(としょう)の人は富貴を重んずる。
(意味)
上士:本当に出来た人は、道徳を重んずる
中士:中等の人間は、功名を重んずる
下士:下等の人間は、文学とか詩歌、芸術をと言ったものを重んずる
斗肖の人:一般人は、富貴を重んずる
今の社会でも似たような風景がたくさんあります。自分を省みることの大切さを感じる訓示と思います。
(本文より)
古今の士に率(おおむ)ね三品あり。上士は名を好まず。中士は名を好む。下士は名おも知らず。
(意味)
下士は、名などどうでも良く、ただ金さえあればよいというわけです。しかし、少し飯が食えるようになると、名誉・名声が欲しくなる、名刺に肩書きを刷り込みたくなるのです。上士は、名誉・名声などばかばかしくなっている。
『伸吟語』は、リーダーの日常の行動理論を提唱している部分が多々あるのですが、参考になることが多いと思います。
横井小楠は、「大儀を四海に布かんのみ」と、世界規模の発想を提唱しながら、実はリーダーの行動理念も同時に説いています。
「心に逆らうことあるも、人を当てにすることなかれ、当てにすれば徳損ず。
為さんと欲することあるも、心を当てにすることなかれ、当てにすれば事を破る。
君子の道は実を修むるにあり」(横井小楠語録)
とあります。高い志を唱えるのは良いのですが、市民感情は、「実は、リーダーの日常行動」も含めて評価しているようです。これは、2500年前の孔子に時代からあるようで、「修己治人」考えを先人たちが幾度となく説いてきました。
『伸吟語』にも、そのテーマで1稿がありました。リーダーの価値観は、2,500年前からそう変っていないのかもしれません。
「己を修めること」と「人を修めること」は、上記の小楠の言葉ではないですが、同時に行うことが重要と感じます。その点を王陽明は「知行合一」と教示し、実践したのだと思います。
私も、「君子の道は実を修むるにあり」と言えるような生き方をしたいと思います。
伸吟語の解説書「伸吟語を読む」を、読みながら自分自身の生き方を確認する時間になっていると思います。
時々、「伸吟語」について、色々感想も含め、日記に書いて行きたいと思います。ご意見等頂ければ幸いです。
・コミュ『呻吟語』(呂新吾著)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354(申吟語を読む:安岡正篤著)
儒学は「修己治人」の学だと言われる。「己を修め人を治む」である。つまり、人を治める立場の者はなによりもまずそういう立場にふさわしいように己を修め、自分を磨く必要があるのだ。
*『呻吟語』の著者呂新吾は、今から四百年ほどまえ、明代の万歴年間に活躍した高級官僚であり、政治家であった。
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<以前の日記>
・開運のすすめ」人と共に善をおこなう(その2)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=711410404&owner_id=2182841
<関連サイト>
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
*筑紫女学院大学の永渕教授が書かれた「開運の進め~『陰隲録』に学ぶ~」は、毎週月曜日にご紹介したいと思います。
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*異業種交流会「春の会」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=708851437&owner_id=2182841
日 時 2月29日19:00~
場 所 熊本交通センターホテル6F
講 師 栗谷利夫氏(㈱近代経営研究所 代表取締役)
テーマ 「公設民営」から、時代は「民設民営化」
参加費 5,000円
事務局 宇土市網引町1374 野口修一
*1部 前半は、栗谷氏講演が中心
後半は、会場全員参加の討論会。
2部 講師・参加が限りなく語り続ける懇親会
主 催 環境共生施設研究所・異業種交流会「四季の会」
申し込み先 事務局 (申し込みはメールで、2月24日まで)
申し込みEmail : aande@lime.ocn.ne.jp
異業種交流会「春の会」参加申し込み(2/24)*氏名・連絡先(メール・FAX・TEL)
・所属等と、セミナー・交流会の参加有無を記入し、申し込みください。
<申込み内容>
氏 名:
住所等:
連絡先:
食事の準備等がありますので右の参加内容を記入ください。
1. セミナーのみ 2.セミナー+交流会
昨日から、中国・明代末の哲人「呂新吾」の著書『伸吟語』を解説した、安岡正篤著「伸吟語を読む」を読んでいます。
これを読み進めるに、これを熊本の思想家が敬慕する「横井小楠」も読んだのではないかと思う文が、多々出て来ます。紙面の中にも、陽明学と分類した内容のことがありましたが、思想としては、その本人そのものですし、分類は後世の学者たちが喧々諤々と議論することなので、私の範疇で無いので意見は書かないことします。
「伸吟語」の一節に、つぎの言葉がありました。
「上士、中士、下士」
(本文より)
上士は道徳を重んじ、中士は功名を重んじ、下士は詞章を重んじ、斗肖(としょう)の人は富貴を重んずる。
(意味)
上士:本当に出来た人は、道徳を重んずる
中士:中等の人間は、功名を重んずる
下士:下等の人間は、文学とか詩歌、芸術をと言ったものを重んずる
斗肖の人:一般人は、富貴を重んずる
今の社会でも似たような風景がたくさんあります。自分を省みることの大切さを感じる訓示と思います。
(本文より)
古今の士に率(おおむ)ね三品あり。上士は名を好まず。中士は名を好む。下士は名おも知らず。
(意味)
下士は、名などどうでも良く、ただ金さえあればよいというわけです。しかし、少し飯が食えるようになると、名誉・名声が欲しくなる、名刺に肩書きを刷り込みたくなるのです。上士は、名誉・名声などばかばかしくなっている。
『伸吟語』は、リーダーの日常の行動理論を提唱している部分が多々あるのですが、参考になることが多いと思います。
横井小楠は、「大儀を四海に布かんのみ」と、世界規模の発想を提唱しながら、実はリーダーの行動理念も同時に説いています。
「心に逆らうことあるも、人を当てにすることなかれ、当てにすれば徳損ず。
為さんと欲することあるも、心を当てにすることなかれ、当てにすれば事を破る。
君子の道は実を修むるにあり」(横井小楠語録)
とあります。高い志を唱えるのは良いのですが、市民感情は、「実は、リーダーの日常行動」も含めて評価しているようです。これは、2500年前の孔子に時代からあるようで、「修己治人」考えを先人たちが幾度となく説いてきました。
『伸吟語』にも、そのテーマで1稿がありました。リーダーの価値観は、2,500年前からそう変っていないのかもしれません。
「己を修めること」と「人を修めること」は、上記の小楠の言葉ではないですが、同時に行うことが重要と感じます。その点を王陽明は「知行合一」と教示し、実践したのだと思います。
私も、「君子の道は実を修むるにあり」と言えるような生き方をしたいと思います。
伸吟語の解説書「伸吟語を読む」を、読みながら自分自身の生き方を確認する時間になっていると思います。
時々、「伸吟語」について、色々感想も含め、日記に書いて行きたいと思います。ご意見等頂ければ幸いです。
・コミュ『呻吟語』(呂新吾著)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354(申吟語を読む:安岡正篤著)
儒学は「修己治人」の学だと言われる。「己を修め人を治む」である。つまり、人を治める立場の者はなによりもまずそういう立場にふさわしいように己を修め、自分を磨く必要があるのだ。
*『呻吟語』の著者呂新吾は、今から四百年ほどまえ、明代の万歴年間に活躍した高級官僚であり、政治家であった。
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<以前の日記>
・開運のすすめ」人と共に善をおこなう(その2)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=711410404&owner_id=2182841
<関連サイト>
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
*筑紫女学院大学の永渕教授が書かれた「開運の進め~『陰隲録』に学ぶ~」は、毎週月曜日にご紹介したいと思います。
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*異業種交流会「春の会」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=708851437&owner_id=2182841
日 時 2月29日19:00~
場 所 熊本交通センターホテル6F
講 師 栗谷利夫氏(㈱近代経営研究所 代表取締役)
テーマ 「公設民営」から、時代は「民設民営化」
参加費 5,000円
事務局 宇土市網引町1374 野口修一
*1部 前半は、栗谷氏講演が中心
後半は、会場全員参加の討論会。
2部 講師・参加が限りなく語り続ける懇親会
主 催 環境共生施設研究所・異業種交流会「四季の会」
申し込み先 事務局 (申し込みはメールで、2月24日まで)
申し込みEmail : aande@lime.ocn.ne.jp
異業種交流会「春の会」参加申し込み(2/24)*氏名・連絡先(メール・FAX・TEL)
・所属等と、セミナー・交流会の参加有無を記入し、申し込みください。
<申込み内容>
氏 名:
住所等:
連絡先:
食事の準備等がありますので右の参加内容を記入ください。
1. セミナーのみ 2.セミナー+交流会
Posted by ノグチ(noguchi) at
23:06
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2008年02月12日
人品について(『呻吟語』呂新吾著、守屋洋 編・訳)
人品について(『呻吟語』呂新吾著、守屋洋 編・訳)
人品について
必要なのは実践体験
実際に問題にぶつかってみないと、自分の能力など高が知れていることに気づかない。問題にぶつかるたびに、知識がふえ能力が磨かれていくのである。実践体験に欠ける人物は、ただ理屈を説いているにすぎないのだ。
■もちろん本を読んで他人の経験に学ぶことも必要である。だが、いくら本を読んでも、本から得られるのはたんなる知識であって、生きた智恵としてはたらいてこない。生きた智恵を身につけるためには、実践体験を積まなければならない。たとえば経営の勘とか機微などというのは、そういったものであろう。理屈は評論家なるものにまかせておけばよいのである。
どちらの道を選ぶのか
「われわれがあくせくと走りまわわっているのは、天下国家のために、人民の生活を安定させようとしてのことであるか。それともわが身や妻子のために、少しでも高い地位について収入をふやそうとしてのことであるか」
天下が治まるかどうか、人民が生きていけるかどうか、国家が安泰であるかどうかは、われわれ指導者がどちらの道を選ぶかにかかっている。
ああ、われわれの数がふえるにつれて、世の中の苦しみはいよいよつのり、われわれが高い地位につくにつれて、人民の生活はいよいよ困窮していく。これでは、われわれの存在など歓迎されるわけがないではないか。
■「人のため」と「自分のため」を、うまく両立させることができれば、それがいちばん望ましい。なかでも責任のある立場、とくに公職にある者の場合は、「人のために」のほうに比重をかけるぐらいで、ちょうどバランスがとれているのかもしれない。
「大体を知る」
人材登用の権限を握っている者は、大局的な判断力を身につけていなければならない。こざかしい知識で人間を評価すれば、すばらしい能力をもった人物をすべて見落としてしまう恐れがある。
なぜか。大きな問題を処理できる者は小さな問題の処理を苦手にしているし、長期的な計画を得意にしている者は小さな才能には欠けている。また、重大な任務を遂行できる者は目先の対応を苦手にしているからだ。さらに、頭が切れて柔軟かつ機敏な対応を得意としている人物、礼儀正しく見聞の広い人物などは、重大な危機に立たされたときにはあまり役には立たないであろう。
ああ、言いにくいことだが、士が登用のチャンスをつかめるかどうかは、上司の愛憎いかんにかかっているのだ。
■「大体を知る」とは、リーダーに対する誉めことばの一つであるが、これには、つぎのようなことが含まれている。
一、細部にとらわれない大局的な判断。
一、一方にとらわれないバランス感覚。
人品について
必要なのは実践体験
実際に問題にぶつかってみないと、自分の能力など高が知れていることに気づかない。問題にぶつかるたびに、知識がふえ能力が磨かれていくのである。実践体験に欠ける人物は、ただ理屈を説いているにすぎないのだ。
■もちろん本を読んで他人の経験に学ぶことも必要である。だが、いくら本を読んでも、本から得られるのはたんなる知識であって、生きた智恵としてはたらいてこない。生きた智恵を身につけるためには、実践体験を積まなければならない。たとえば経営の勘とか機微などというのは、そういったものであろう。理屈は評論家なるものにまかせておけばよいのである。
どちらの道を選ぶのか
「われわれがあくせくと走りまわわっているのは、天下国家のために、人民の生活を安定させようとしてのことであるか。それともわが身や妻子のために、少しでも高い地位について収入をふやそうとしてのことであるか」
天下が治まるかどうか、人民が生きていけるかどうか、国家が安泰であるかどうかは、われわれ指導者がどちらの道を選ぶかにかかっている。
ああ、われわれの数がふえるにつれて、世の中の苦しみはいよいよつのり、われわれが高い地位につくにつれて、人民の生活はいよいよ困窮していく。これでは、われわれの存在など歓迎されるわけがないではないか。
■「人のため」と「自分のため」を、うまく両立させることができれば、それがいちばん望ましい。なかでも責任のある立場、とくに公職にある者の場合は、「人のために」のほうに比重をかけるぐらいで、ちょうどバランスがとれているのかもしれない。
「大体を知る」
人材登用の権限を握っている者は、大局的な判断力を身につけていなければならない。こざかしい知識で人間を評価すれば、すばらしい能力をもった人物をすべて見落としてしまう恐れがある。
なぜか。大きな問題を処理できる者は小さな問題の処理を苦手にしているし、長期的な計画を得意にしている者は小さな才能には欠けている。また、重大な任務を遂行できる者は目先の対応を苦手にしているからだ。さらに、頭が切れて柔軟かつ機敏な対応を得意としている人物、礼儀正しく見聞の広い人物などは、重大な危機に立たされたときにはあまり役には立たないであろう。
ああ、言いにくいことだが、士が登用のチャンスをつかめるかどうかは、上司の愛憎いかんにかかっているのだ。
■「大体を知る」とは、リーダーに対する誉めことばの一つであるが、これには、つぎのようなことが含まれている。
一、細部にとらわれない大局的な判断。
一、一方にとらわれないバランス感覚。
Posted by ノグチ(noguchi) at
08:03
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2008年02月12日
処世について(『呻吟語』呂新吾著、守屋洋 編・訳)
処世について(『呻吟語』呂新吾著、守屋洋 編・訳)
処世について
〔ことば〕
○世に処するには、ただ一の恕の字。
仕事を処理する四つのポイント
一、好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。
一、辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹することが望まれる。腰くだけになってはならない。
一、ものごとの処理は、思慮深く沈着であることが望まれる。浅はかであってはならない。
一、変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない。
処世について
〔ことば〕
○世に処するには、ただ一の恕の字。
仕事を処理する四つのポイント
一、好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。
一、辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹することが望まれる。腰くだけになってはならない。
一、ものごとの処理は、思慮深く沈着であることが望まれる。浅はかであってはならない。
一、変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない。
Posted by ノグチ(noguchi) at
08:02
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