2008年02月15日

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)
人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
  ~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~

 二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。

 「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は
 「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は
 ・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。
 ・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。
 ・三番目が常に冷静な「頭」。
 ・最後の「技」とは、行動することと考えています。
 現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも
 「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方
 谷の理念と言えます。」

山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:54Comments(0)

2008年02月15日

悲劇は失敗でも過誤でもない。人生は苦しみか?

悲劇は失敗でも過誤でもない。人生は苦しみか?

 色々な場面で思ってみないミスを起こし、上司に叱られ更に落ち込み、またミスをしてしまう。これは「悲劇でしょうか」と、疑いたくなります。

 そんな思いを救ってくれる言葉が、小林秀雄語録がありました。

「悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは、人間の生きていく苦しみだ。悲劇は、私達があたかも進んで悲劇を欲するかの如く現れるかこそ悲劇なのである。」(「感想」19‐42)

「人間に何かが足りないから悲劇は起こるのではない。何かが在り過ぎるから悲劇が起こるのだ。否定や非難を好む者は悲劇人たり得ない。」何も彼も進んで引き受ける生活が悲劇的なのである」何も彼も進んで引き受ける生活が悲劇的なのである。(「悲劇について」19‐51) 

 明治・大正・昭和と、民衆側に立ち奔走した政治家・故尾崎幸雄氏は、75歳のとき大病を患い、自分の人生を振り返り、人生のひらめきを得たそうです。その答えは、次の言葉に表わされています。

「人生の本舞台は将来にあり」

要は、それまでの人生で起こった様々な出来事は、現在の自分の作るために在った「経験」であり、今後の仕事の糧のためにある。だからこれから来る人生こそが本舞台であると語ったと言います。

悲劇を経験と思えるかは、本人の器の問題と思いますが、心の在り様でその場面(事件)も危機がチャンスになると思います。悲劇を次の変化(行動)の起点に変えれるような心構えと日常の研鑽に努めて生きたいと思います。

先人たちの言葉は、奥が深く、参考になる言葉が多いと感じるこのごろです。


*参考資料:小林秀雄語録「人生の鍛錬」

・十八史略の人物学 (呂新吾の言葉)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28077357&comment_count=0&comm_id=3045354


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*異業種交流会「春の会」
 日 時  2月29日19:00~
 場 所  熊本交通センターホテル6F
 講 師  栗谷利夫氏(㈱近代経営研究所 代表取締役)
 テーマ  改革は、「公設民営」から、「民設民営」へ
 参加費  5,000円
 事務局  宇土市網引町1374 野口修一

 *1部 前半は、栗谷氏講演が中心
     後半は、会場全員参加の討論会。
  2部 講師・参加が限りなく語り続ける懇親会

主 催 環境共生施設研究所・異業種交流会「四季の会」
申し込み先 事務局 (申し込みはメールで、2月24日まで)
申し込みEmail : aande@lime.ocn.ne.jp

異業種交流会「春の会」参加申し込み(2/24)*氏名・連絡先(メール・FAX・TEL)
・所属等と、セミナー・交流会の参加有無を記入し、申し込みください。
<申込み内容>
氏 名:
住所等:
連絡先:
食事の準備等がありますので右の参加内容を記入ください。
1. セミナーのみ 2.セミナー+交流会   


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2008年02月15日

「気配り」と「ご機嫌取り」は、意味が違う

「気配り」と「ご機嫌取り」は、意味が違う

 色々な処で移動の時期ですが、「出世」「左遷」、「現状維持」等々、人の受ける感想は色々有りますが、事例一つで海外へ行くことのあるサラリーマンも大変なかと思います。私は、自営業で移動はありませんが、日々事を続ける中にも「気配り」や「ご機嫌取り」の風景を見ることがあります。片方は感動を与え、片方は気分良いものではない印象を持ちます。

 さて、植田正也著「電通『鬼十則』」の中の一節に、「気配り」と「ご機嫌取り」についての解説がありました。

(本文より)
 気配りと言うと、ご機嫌取りやおべんちゃらと混同しがちであるが、この二つのことは全く逆の位置に存在する内容である。
 どう違うか。
 気配りは、相手の心情、状況への思いやりであり、そこにはこちらのエゴがない。
 ところが、ご機嫌取りやおべんちゃらは、その場限りの日和見で相手への真心はなく、エゴの裏返しでしかない。
 この二つは、一見、混同され易い。同じ気を遣うのだが、内容が「違うこと」に注意しなくてはならない。
 しかし、気配りとご機嫌取りの本質は、周囲にはっきり見えるということである。わからないと思うのはやっている本人だけで、本性がはっきりと外へ現れるということだ。(中略)
 
(本文より)
 気配りとゴマスリは、根本的に違う。
 気配りとゴマスリを混同している人は、案外に多いのだ。
 気配りには、尊敬の気持ちがある。
 ゴマスリには、卑しさの気持ちが出る。
 この二つは似て非なるものだ。


いやーっ、きびしい指摘ですね。でも、目上の方に語る風景を長らく見ていると、感覚的に「これ、ゴマスリ?」ではと、思う場面を多々みます。会社だけでなく、地域の様々な組織やグループでもあります。人の習性の怖さを感じるものと思います。
 植田氏は、真の気配りについての意味を、説明しています。

(本文より)
 気配りって結構、創造人間の領域の問題である、創造的な人間でないとできない精神のウォーミングアップ運動なのだ。(中略) 

 そもそもこの文章の本となった、項目では、八方への気配りに進めでしたが、項目の最後のまとめに次の一節がありました。電通4代目社長の吉田秀雄氏の訓示の言葉です。


(本文、吉田秀雄語録より)
 新しいビジネスに必要な三つの「S」。
・Strategy:戦略的発想と行動
・Speed :決断と創造のスピード(経営)
・Simple :単純化のよるコア・コンピタンス〔核心〕の発見
「頭は常に、「全廻転」八方に気を配って一分の隙間もあってはならぬ。」


 私心を捨て、相手のことを思っての気配りの進めと思います。この言葉は、今でも十分通用する人生の訓示と思います。
 互いを伸ばすような事業を協働で、作り出すような人間関係を作りたい思います。



 安岡正篤氏の著書「申吟語を読む」の中で、幕末の薩摩藩主の島津斉彬公が、部下の西郷隆盛のことを、

「この男は西郷隆盛というて、いわゆる知識だの才幹だのというものではなくて天性の大仁物です」

と、松平駿嶽に答えたそうです。これは、巡り巡って西郷の耳にいつか入ると思いますが、斉彬公の地位を考えると、素晴らしい見識と発言と思います。これこそが、気配りではないかと思います。その後の西郷の活躍は、歴史が証明しています。


*参考資料:植田正也著「電通『鬼十則』」(PHP文庫)
安岡正篤著「申吟語を読む」(致知出版)

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 00:37Comments(0)