2009年08月13日

(盆休み)午前は肥後藩の医療学校、午後は病院長と意見交換

(盆休み)午前は肥後藩の医療学校、午後は病院長と意見交換

~偶然は、すべて必然の「一期一会」、二度とないチャンス~

・偶然は必然
 昨日は、午後に県庁に用があり、事務官と打ち合わせが終わり、ロビーに下りて夕方からのインタビューの人を待っていると、3年ぶりに旧友とぱったり合い、その後には私の建築設計の図面の書き方を若いとき指導してくれた方と会ったり、そこ20分くらいの間でした。
 実は、県庁との打ち合わせ予定は午前中だったのですが、一緒に行く一人が都合悪くなり、16時からの打ち合わせになったのは、偶然の出会いになりました。不思議な
もので、出会うべき時は、まとめて機会が来るのだと思います。


<午前中、江戸後期の肥後藩(細川藩)の改革を学ぶ>

・日本初の藩政医療学校「再春館」
 今日から、熊本の田舎でもでも、お盆の夏休みで街中も車は少なくなっています。私も休みなのですが、妻は仕事と言うことでしたから、数日前の約束ができ、横井小楠への文化事業助成金の申請に、推薦状が要るるので県の文化協会副会長の所へ出かけました。
 内容をお読みいただき、署名捺印をもらうだけなので、15分程度で終わったのですが、それから横井小楠のことから話は始まり、熊本を極貧の藩から雄藩に作り変えた「宝暦の改革」、同時期できた医療専門学校「再春館」のこと、熊本の超優良企業の一つ「科学及び血清療法研究所」の生い立ちに、横井小楠の功績をまとめた医師であり歴史研究家が関わったこと、・・・・・、約1時間、歴史の講義を受けたようなものです。

・米百票は、外からの刺激で顕彰が再燃
 なぜか最後の話題が「米百票」のことになったのですが、推薦状を書いてもらった方は、県の元職員で、歴史文化面で造詣が深く、合うと色々お話をしてもらうのですが、教育印会の次長時代、時の福島知事から「米百票」という教えを知っているかと聞かれ、知らなかったの勉強を始め、資料があまり無く、ついに長岡まで出かけて調べられたそうです。 行って見ると、逆に当地に人が驚き、「われわれが、小林虎三郎の『米百票』の精神を忘れている」と語られ、長岡で顕彰活動が再燃したと聞きました。意外に郷土の偉人を知らないと言うのは、私たちの「横井小楠」顕彰がつい最近盛り上がったことの似ていると思います。
 小泉首相が、「米百票」のことを取り上げたの一気に広がりましたが、昨年、熊本で藩校サミットがあり、次期開催地の長岡の人とゆっくり語ったのですが、幕末・明治の顕彰は、これからが始まりですと語っておられたのが印象に残りました。

・坂本龍馬と横井小楠
 歴史の顕彰の盛り上がりは、やはり何かきっかけが必要なのだろうと思います。来年の大がドラマは、「坂本龍馬」ですが、横井小楠に学ぶために三度熊本へ足運んだ坂本龍馬の思いから、維新回天の思想の根幹を成したと言われる小楠思想が、注目されると良いなと期待をしています。


<午後、19年指導を受ける老医師との意見交換>

・私の医療・福祉施設の仕事の縁
 私の本業は建築設計の仕事なのですが、意外に医療・福祉分野の施設が多いのは、妻の実家の在る地域の総合病院と事務所開設当初からご縁ができ、理事長との色々な意見交換、施設管理、医療用語、医療の仕組み、などの話を少しづつ聞いてきたことが、実績につながって来たのですが、お盆休み初日、何時もお家に居られるので、お中元を持って出かけました。

・話題は多種多様、エンドレスに語る
 毎回、日常の話題から始まり、医療環境の変化、国の医療・福祉政策の問題点、選挙のこと、ばら撒き予算、田舎ですから特に地域との連携の必要性、100名近いスタッフをどうリーダーシップするのか、会議の工夫、職員の意識改革、等々話が尽きず、今日もアッと言う間の一時間半過ぎていました。
 年齢は、約20才私が後輩ですが、一昨年、昨年と約1年半、自宅リフォームのことで、合う機会が増え、色々なことを語りました。建築の打ち合わせは、始めの10分、後の2~3時間、時には食事を挟み6時間近く一所にいて、色々意見を交わしたことも有りました。

・異業種交流は、私の話ネタの基
 ふと振り返ると、これまで1200名を越える方と色々語って来ました。その多種多様な職能と話題、自分とし続けて論語をベースとする中国古典の勉強、公開講座を中心とする現代の社会勉強、そこで考え続けたことが、老医師の語りかえるテーマにも着いて行く事ができた要因と思います。

・思いを語るときは、後に用を入れない
 今日、老医師は少々腰痛がひどく、治療のため話が中断しましたが、それが無ければ多分夕方まで続いていたと思います。
 師の一人から、「人と語りたいと思った時は、後に用を入れたらいけない」と指導を受け、今日はお盆休み、老医師も休養で用が無いと思い、アポ無しで出かけたのですが、中身の濃い話ができて良かったと思います。

・幕末の志士たちの「一期一会」の考え方
 昔の志士たちは、学ぶつもりで門戸を叩き語るときは、時を惜しむように昼夜を問わず語り続けたと言います。現代の人たちは、「会議」と「人と思いを語る」が同じような考えで会うから、学問的な深み(成長)につながらないように感じます。
 会議・宴会等は別して、「この人に会いたい」、「この人と語りたい」と思ったときは、その後に用を要れずに「一期一会」のチャンスと思い、二度とない機会として相手と自分の根競べくらいに語ると、一気に親近感を増すものと思います。

・現代の便利さが、「一期一会」の緊張感を薄れさせる
 幕末の交通は、とにかく歩くしかありません。二度と会えないかもしれない「チャンス」と志士たちは、時をとても大事に惜しむように、語り続けたのかもしれません。現代は、電話、メール、更に車・飛行機と便利な道具かあり過ぎて、出会いの重要性を軽視しているように思います。
 冒頭の会えそうだけど会えない身近な友人たちです。偶然の出会いは、すべて必然の「一期一会」、二度とないチャンスとも思い、互いの心と知識をぶつけ合う真剣勝負でもあります。お盆の休暇、「一期一会」の素敵な出会いが有ること願っています。

 今日の報告が、だらだらと長くなりました。最後までお読みいただき感謝します。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:14Comments(0)私の意見