2009年09月01日

(家庭大事)寸陰を惜しむ、養寿規

(家庭大事)寸陰を惜しむ、養寿規

 今日から新学期で、わが家の高校生を高校まで送って行きました。軽トラックに自転車を乗せて、朝の課外に間にように早くに出かけると、高校の野球グランドで、高校1年生がグランド整備を終え、ベンチに座る数名が必死にノートや本を、真剣に読みふけっている要す、わが家は3年生で8月18日から毎日学校へ出かけているので、新学期の気分名ないのですが、「1・2年生は、実力試験」と聞き、グランド整備を終え、始業までちょっとの間(寸陰)を使って、勉強をしていたのです。感心、感心!と思いました。

 昭和の儒家・安岡正篤氏の「一日一言」に次に一節がありました。

・寸陰を惜しむ
 どんなに忙しい人でも、寸陰というものはある。
 ちょっとした時間というものは必ずある。そのちょっとした時間をつかむのです。これに熟練をすれば、案外時間というものはあるものです。
 寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰が長い時間と同じ、あるいはそれ以上の値打ちを生じてくる。
 (以上、「一日一言」より)

 私は、車の運転中に名言や故事を、読むようにしています。勿論、信号停車や、運転休憩時間に読むですが、文庫本であれば1月に3~4冊は、読むことが可能です。先人も「三上の読書、馬上、便所、寝る前(枕上)」と称し、時間を浪費を戒めました。
 
 今、ワイドショーを賑わす酒井法子被告は、「家事をやる気にするために覚せい剤を使った」と語った聞き、???、と思いました。
 ミクシィ・ニュースで、酒井被告の自宅は、「足の踏み場もない状況だった」と、現場のこぼれ話が出てきた。多忙な芸能生活、子育て、さらにドラッグパーティーと、とても忙しい日だったのでしょうが、家事は日々のちょっとした片付けをやれば、そうそう踏み場もないほどは散らからないと思います。
 家事も勉強も、ちょっとの時間(寸陰)の使い道で、日々の生活のゆとりが出てきます。

安岡氏の本の同じページに、「養寿規」なる教示がありました。

一、早起き、静座、梅茶を服す。
二、家人に対し、温言和容(おんげんわよう)を失わず。
三、養人の書を読み、養生の道を学ぶ。
四、老荘の良友に交わり、内外の時勢に通じ。
五、凡(すべ)ての宿滞を除き、陰徳を施す。

 時間のゆとり、心のゆとり、時勢に感心を持ち、すべての行動・行為において陰徳(思いやり)を持とうということだと思います。
 日々時間に追いまくられる現代、務めて上記のことを行うことが必要と思います。家事のために覚せい剤、表現が違っていますが、「寸陰(寸暇)」の使い道が間違っているように思います。

>寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰が長い時間と同じ、あるいはそれ以上の値打ちを生じてくる。

私は、今日も外回り、車での移動が多いのですが、そういう私自身も寸陰を惜しみ、読書に務めたいと思います。
皆様にとって、充実した一日であることを願っています。

*参考文献:渡邊五郎三郎編著「安岡正篤一日一言」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:46Comments(3)意見・異見