2009年09月09日
(「道」を求める)立場を変えてみる、社会生活のなかで
(「道」を求める)立場を変えてみる、社会生活のなかで
昨日、今秋の催し物の打ち合わせに、社会活動の先輩の家に出向いた。この方は、経済学者ですが、常に日本の政治状況を分析し、細川政権、村山政権を予見し、事前のその主旨を提言した方です。
今回の選挙、昨夏の選挙等の分析、今後の政権の推移に関する予見を聞いた。実に約3時間、いつもは2時間程で終わるのですが、事のほか言い忘れた事が無いように、思考を深めながら、整理して話を進められたように思います。
民主党の最大に課題は、地道な社会活動に関わらずに、一挙に100名を越える新人政治家の教育にあると分析をされていました。また、四年間政権が維持できるかは不透明で、民主党の色々な分野の人物が集まる集合体、スキャンダルの火種も燻っていると思われます。
これからは、新人議員の一人ひとりが地域に根付き、社会問題、地域の問題と正対し、国民と一緒に解決する地道な活動をどれだけ出来るかの掛かっていると思います。それをしないと、小泉チルドレンの二の舞になることは、充分ありうると思います。
中国古典の「菜根譚」の教示に、次の一節があります。
・立場を変えてみる
冷静な状況にたちかえってから、熱狂していた当時をふりかえってみると、情熱にかられて動き回っていたことの空しさがわかってくる。
心の休まる暇もない繁忙な状態から抜け出して、一度でも閑暇な時をもてるようになると、閑暇であることの良さがしみじみと実感できる。
(解説)
一つの立場に固執すれば、狭い世界しか見えなくなる。立場を変えてみれば、新しい展望も開けるにちがいない。利益を追求するときは、損害も考慮に入れておくべきだ。
正に至言と思います。「驕れる者は、久しからず」、議員一人ひとりの今後の、言動にかかっていると思います。
また、日々の暮らしの中で、人としても「道」をもめる事は充分できるとの教示もあります。
・社会生活のなかで
俗世間から超越する道は、ふつうの社会生活を営むなかで見出すことができる。必ずしも社会との交わりを絶って隠遁(いんとん)生活にのがれる必要はないのである。
悟りを開くための方法は、自分の心を見きわめる努力のなかから生まれてくる。必ずしもいっさいの欲望を絶って心を灰のように死なせてしまう必要はないのである。
(解説)
形式にとらわれてはならない。方法にこだわる必要もない。肝心なのは、求める心があるかどうか、ということであろう。
毎日、毎日、忙しい日々を悔やむ人も多いと思います。しかし、ちょっとした休息の時間はある者です。「忙中に、閑あり」、急がし時ほど少し休み時間に、真剣に自分の心と向き合う努力を忘れないことと思います。
「壷中に、天あり」、小さな世界にも空はありますが、広い視野をもつことも必要です。忙しい、忙しいとこぼすより、忙しいことも楽しみ、寸暇に自分の進んでいる「道」は、間違っていないか、検証(反省)することは可能と思います。
今日も、そんなゆとりがなさそうなスケジュールですが、心のゆとりだけは持ちたいと思います。
*参考資料:守屋洋訳著「菜根譚」
昨日、今秋の催し物の打ち合わせに、社会活動の先輩の家に出向いた。この方は、経済学者ですが、常に日本の政治状況を分析し、細川政権、村山政権を予見し、事前のその主旨を提言した方です。
今回の選挙、昨夏の選挙等の分析、今後の政権の推移に関する予見を聞いた。実に約3時間、いつもは2時間程で終わるのですが、事のほか言い忘れた事が無いように、思考を深めながら、整理して話を進められたように思います。
民主党の最大に課題は、地道な社会活動に関わらずに、一挙に100名を越える新人政治家の教育にあると分析をされていました。また、四年間政権が維持できるかは不透明で、民主党の色々な分野の人物が集まる集合体、スキャンダルの火種も燻っていると思われます。
これからは、新人議員の一人ひとりが地域に根付き、社会問題、地域の問題と正対し、国民と一緒に解決する地道な活動をどれだけ出来るかの掛かっていると思います。それをしないと、小泉チルドレンの二の舞になることは、充分ありうると思います。
中国古典の「菜根譚」の教示に、次の一節があります。
・立場を変えてみる
冷静な状況にたちかえってから、熱狂していた当時をふりかえってみると、情熱にかられて動き回っていたことの空しさがわかってくる。
心の休まる暇もない繁忙な状態から抜け出して、一度でも閑暇な時をもてるようになると、閑暇であることの良さがしみじみと実感できる。
(解説)
一つの立場に固執すれば、狭い世界しか見えなくなる。立場を変えてみれば、新しい展望も開けるにちがいない。利益を追求するときは、損害も考慮に入れておくべきだ。
正に至言と思います。「驕れる者は、久しからず」、議員一人ひとりの今後の、言動にかかっていると思います。
また、日々の暮らしの中で、人としても「道」をもめる事は充分できるとの教示もあります。
・社会生活のなかで
俗世間から超越する道は、ふつうの社会生活を営むなかで見出すことができる。必ずしも社会との交わりを絶って隠遁(いんとん)生活にのがれる必要はないのである。
悟りを開くための方法は、自分の心を見きわめる努力のなかから生まれてくる。必ずしもいっさいの欲望を絶って心を灰のように死なせてしまう必要はないのである。
(解説)
形式にとらわれてはならない。方法にこだわる必要もない。肝心なのは、求める心があるかどうか、ということであろう。
毎日、毎日、忙しい日々を悔やむ人も多いと思います。しかし、ちょっとした休息の時間はある者です。「忙中に、閑あり」、急がし時ほど少し休み時間に、真剣に自分の心と向き合う努力を忘れないことと思います。
「壷中に、天あり」、小さな世界にも空はありますが、広い視野をもつことも必要です。忙しい、忙しいとこぼすより、忙しいことも楽しみ、寸暇に自分の進んでいる「道」は、間違っていないか、検証(反省)することは可能と思います。
今日も、そんなゆとりがなさそうなスケジュールですが、心のゆとりだけは持ちたいと思います。
*参考資料:守屋洋訳著「菜根譚」