2012年01月24日

〈遺児たち〉これからは5人兄妹、私たちがパパとママになる

〈遺児たち〉これからは5人きょうだい、私たちがパパとママになる

1月24日の熊本日日新聞のコラム「遺児たち」を読みました。両親を亡くした3人の兄妹を引取り、わが子2人とあわせ、5人兄妹として育てる話を読み、他にもたくさんの子どもたちが、震災前と違った場所で、生活しているのだろうと思います。

私は、3月16日に発足した、東日本大震災・熊本支援チームの事務局長として、第2陣の支援物資輸送に合わせ、4月5日から4日間、飛行機、新幹線、レンタカーを乗り継ぎ、郡山市、福島市を通り、浜通り地域の福島県相馬市に入った。

私は、国道6号線を北上しながら、宮城県名取市、仙台市、東松島市、石巻市、女川町、南三陸町、岩手県陸前高田市、などを視察し、避難所に泊り、現地の方と意見を交わしました。

4月7日深夜近く、最大の余震の震度6弱を、相馬市の避難所で体験しました。津波警報が出て、避難所が騒然となったのを思い出します。被災地を見た後での余震で、厳しい避難所での生活は、大変な状況でした。

その経験と、私自身が、サッカー教室の監督を14年やっていること、私の友人が、仙台市の両親を亡くした子供たちの育英金を集める「青い鳥プロジェクト」参加していて、イベントで集まった寄付金を、青い鳥プロジェクトに送りました。

本文の中で、少年サッカー監督の父とバレーボールが得意な母だつたと、記事にあった。引き取った夫婦が、3人の兄妹に両親が亡くなったことを伝える場面を読んだとき、サッカーの練習の親子の風景が頭に浮かび、自然が起こした子どもたちへの試練の厳しさは、私には想像できない重さを感じます。

その中で、引き取られた夫婦は、子どもたちに暗い気持にさせないように、またそうすることで、自分の姉を亡くした現実から、新しく生活をスタートさせる、ご夫婦の決意が伝わって来ました。

5人の子育て、長く大変とは思いますが、青い鳥プロジェクトのように、全国から色々な育英支援が、途切れることなく続けられることを願い、私たちも参加したいと思います。

3.11から11ケ月が過ぎました。なかなか先の見えない復興に、支援した地域の方々から、苛立ちの声が、この九州までも聞こえて来ます。

先週末、テレビで、関東大震災復興にかけた後藤新平とその仲間たちの2400日間の戦いの記録を見て、先人たちも、震災の苦境ありながらも、東京・横浜の復興に、粉骨砕身の努力が有ったらこそ、現在の東京があると、しみじみと感じ、名もなき多くの技術者たちの、暖かく、強い意志を知り、私たちも頑張らねばと、決意を新たにしました。

やがて、震災から1年が過ぎます。やっと出来た復興庁が、急ピッチで被災地を生活の出来る地域に復旧し、若い方々が、新しい東北の地域づくりに夢を画けるように、粉骨砕身の努力をして欲しいと願っています。   


Posted by ノグチ(noguchi) at 15:49Comments(0)東日本大震災