2008年06月29日
(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~
今日は、後輩の結婚式で、仲間2人と一緒に参加するのですが、日ごろはあんまり会わないのですが、久々の晴の席での宴席で、梅雨の暗い気分を明るくしてくれています。
昼食時からお酒の席、たまには良いのかもしれません。
(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~
学問とは何か、自分自身は答えをはっきりと答えれないのですが、「日々の中にこそ学問がある」と、江戸中期の儒学者で、政治家だった熊沢蕃山が、説いています。
昭和の東洋哲学者、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」の中に書かれた熊沢蕃山の理念を紹介します。
(本文より転載)
ある人が、゛自分は本当の学問をしたのだけれども、どうも仕事が忙しいので、思うように学問ができない゛と言ったのに対して、蕃山先生は次にように説いておる。
学問と言うものは自分の仕事・自分の生活を決して別物ではない。別物どころか、自分に与られておる仕事や生活をより立派に、満足にしてゆくのが学問である。だからいくらも忙しくても学問はできる、何をしておっても学問はできるのであって、せっかくの自分の仕事・生活を捨てて学問をしようなどとかんがえるのは、とんでもない間違いである。そんなものは学問ではない、学問と称するむだごとと同じ事である。
本当の学問とは、たとえば役人なれば役人、商人なれば商人が、自分の仕事・生活に一生懸命励んで、そのために自分の心を満足させ、仕事に関する啓発をおこない、その満足、内心の信念・智慧というようなものが溢れて、生活となり、風格となる、これが本当の学問であって、詩をつくったり、文章を書いたり、いろいろな本をあさったりすることが学問ではない、ということを惇々として教えておる。(中略)
私には、日々の生活を充実させることが大事と言うとのように聞こえます。忙しく、色々な会に参加して、人と会い、学ぶことは大切と思います。
幕末-明治初期の陽明学者、山田方谷は、弟子の河井継之助に、「本で学び足りなければ、地域の先輩に学び、それでの足りなければ全国の識者に学び、それでも足りなければ歴史の人物に学べ」と、説いたそうです。
しかし、陽明学者でもあった、熊沢蕃山の教えは、更に深いところを指摘しているように置思います。更に、蕃山先生は、次のように説いています。
(本文より転載)
学問というものはまず蔵さなければならならん、出さずに自分の内に入れておかなければならん。これは見せびらかすために取り入れるかどというのは、Pedantic(衒学(げんがく))といって、本当の学問ではない。西洋人もこれを嫌います。これは何事によらずそうであります。
つまらない人間ほど財産とか、地位とか、いうものを見せびらかします。できた人間ほど有れども無きごとしで、外に出さない。出さないのではなくて出ない。学問というものはまず蔵さなければならん。
しかし蔵してカビは生えたり、ほこりをかぶっては仕様がないので、そこは一つ修めなければならん、整えて立派に磨かなければならん。(中略)
日々、研鑽し、自分を鍛えることが、学問で在ると蕃山先生は説いたと、安岡先生が語っています。陽明学の祖、王陽明は、日々の生活・仕事の中で、研鑽し、自分を鍛えることを「事上磨練」と言う言葉で説いています。
高学歴を目標とする現在の学問(学習)の考え方ではなくて、日々の生活の中で、偉人や先輩の教えに耳傾け、実践する事が一番の学問実践(研鑽)につながるのかもしれません。
江戸後期の儒学者、佐藤一斎の言志四録の始めにある教えがあります。(現代語訳)
「学問と行うには、志を立てることより大事なものはない。しかし、志を立てることを外から無理に強制してはいけない。ただ、その本心の赴くところも従うばかちである。」
志の持ち続けること日々の実践こそが、人間を高める一番の方法なのかもしれません。
それと、私の知り得たことをブログに書く(外へ出す)ことは、盤山先生の理念からすると、間違いなのかもしれません。少々反省する、ブログになりました。長文を最後までお読み頂き感謝します。
*参考資料:安岡正篤先生著書「人間学のすすめ」~熊沢蕃山~
渡邊五三郎監修「斉藤一日一話」~『言志四録』を読む~
<以前の日記>
・ブロードキャスター打ち切り/満ち足りた先にあるのは転落
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=853123426&owner_id=2182841&org_id=852452330
<催しのご案内>
・2008異業種交流会「夏の会」
「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
昼食時からお酒の席、たまには良いのかもしれません。
(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~
学問とは何か、自分自身は答えをはっきりと答えれないのですが、「日々の中にこそ学問がある」と、江戸中期の儒学者で、政治家だった熊沢蕃山が、説いています。
昭和の東洋哲学者、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」の中に書かれた熊沢蕃山の理念を紹介します。
(本文より転載)
ある人が、゛自分は本当の学問をしたのだけれども、どうも仕事が忙しいので、思うように学問ができない゛と言ったのに対して、蕃山先生は次にように説いておる。
学問と言うものは自分の仕事・自分の生活を決して別物ではない。別物どころか、自分に与られておる仕事や生活をより立派に、満足にしてゆくのが学問である。だからいくらも忙しくても学問はできる、何をしておっても学問はできるのであって、せっかくの自分の仕事・生活を捨てて学問をしようなどとかんがえるのは、とんでもない間違いである。そんなものは学問ではない、学問と称するむだごとと同じ事である。
本当の学問とは、たとえば役人なれば役人、商人なれば商人が、自分の仕事・生活に一生懸命励んで、そのために自分の心を満足させ、仕事に関する啓発をおこない、その満足、内心の信念・智慧というようなものが溢れて、生活となり、風格となる、これが本当の学問であって、詩をつくったり、文章を書いたり、いろいろな本をあさったりすることが学問ではない、ということを惇々として教えておる。(中略)
私には、日々の生活を充実させることが大事と言うとのように聞こえます。忙しく、色々な会に参加して、人と会い、学ぶことは大切と思います。
幕末-明治初期の陽明学者、山田方谷は、弟子の河井継之助に、「本で学び足りなければ、地域の先輩に学び、それでの足りなければ全国の識者に学び、それでも足りなければ歴史の人物に学べ」と、説いたそうです。
しかし、陽明学者でもあった、熊沢蕃山の教えは、更に深いところを指摘しているように置思います。更に、蕃山先生は、次のように説いています。
(本文より転載)
学問というものはまず蔵さなければならならん、出さずに自分の内に入れておかなければならん。これは見せびらかすために取り入れるかどというのは、Pedantic(衒学(げんがく))といって、本当の学問ではない。西洋人もこれを嫌います。これは何事によらずそうであります。
つまらない人間ほど財産とか、地位とか、いうものを見せびらかします。できた人間ほど有れども無きごとしで、外に出さない。出さないのではなくて出ない。学問というものはまず蔵さなければならん。
しかし蔵してカビは生えたり、ほこりをかぶっては仕様がないので、そこは一つ修めなければならん、整えて立派に磨かなければならん。(中略)
日々、研鑽し、自分を鍛えることが、学問で在ると蕃山先生は説いたと、安岡先生が語っています。陽明学の祖、王陽明は、日々の生活・仕事の中で、研鑽し、自分を鍛えることを「事上磨練」と言う言葉で説いています。
高学歴を目標とする現在の学問(学習)の考え方ではなくて、日々の生活の中で、偉人や先輩の教えに耳傾け、実践する事が一番の学問実践(研鑽)につながるのかもしれません。
江戸後期の儒学者、佐藤一斎の言志四録の始めにある教えがあります。(現代語訳)
「学問と行うには、志を立てることより大事なものはない。しかし、志を立てることを外から無理に強制してはいけない。ただ、その本心の赴くところも従うばかちである。」
志の持ち続けること日々の実践こそが、人間を高める一番の方法なのかもしれません。
それと、私の知り得たことをブログに書く(外へ出す)ことは、盤山先生の理念からすると、間違いなのかもしれません。少々反省する、ブログになりました。長文を最後までお読み頂き感謝します。
*参考資料:安岡正篤先生著書「人間学のすすめ」~熊沢蕃山~
渡邊五三郎監修「斉藤一日一話」~『言志四録』を読む~
<以前の日記>
・ブロードキャスター打ち切り/満ち足りた先にあるのは転落
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=853123426&owner_id=2182841&org_id=852452330
<催しのご案内>
・2008異業種交流会「夏の会」
「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜
<知性の徳、意志の徳>正しさとは、他者に対する負い目(恩恵?)を自覚すること。〜トマス・アクアナス〜
<六十にして思う>すべては「因」と「縁」によって生じる。準備あるところにチャンスは訪れる。〜禅語より〜
悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃される。〜史記〜
本来"リベラリズム"で大事なのが人間の心なのです。〜宇沢弘文著『人間の経済学』〜
真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜
<知性の徳、意志の徳>正しさとは、他者に対する負い目(恩恵?)を自覚すること。〜トマス・アクアナス〜
<六十にして思う>すべては「因」と「縁」によって生じる。準備あるところにチャンスは訪れる。〜禅語より〜
悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃される。〜史記〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 10:06│Comments(0)
│偉人