2012年09月18日
〈領海問題〉勝海舟なら「上に立つ者は、経済をわきまえよ」と
〈領海問題〉勝海舟が生きていたら「上に立つ者は、経済をわきまえよ」と一括する
家の本の整理中に、明治維新の元勲の一人、『勝海舟の人生訓』なる表題が目に止まった。中に、政治と経済の話があったので、ご紹介します。
ー以下、転載ー
勝(海舟)はよく、
「経済が基本だ」
と言った。歴史上の人物を評価する場合にも、
「経済をわきまえていたかどうか」
というものさしを持っていた。だから、彼が誉めた人物は、すべて経済に明るく、また経済を基にして政を行なった連中である。その中で、
「最も感心したのは、細川頼之と豊臣秀吉だ」
と言っている。なぜ、細川と秀吉を評価したかといえば、
「彼らが、最も経済観念を持っていたからだ」と言う。(中略)
「とにかく経済のことは経済学者には分からない。それは、理屈一方から見せるせいだ。世の中はそう理屈通りにいくものではない。人気というものがあって、何事も勢いだからね」
「いかに治民の術を飲み込んでいても、今も昔も人間万事金というものがその土台であるから、もしこれが無かった日には、いかなる大政治家が出ても、到底その手腕を施すことはできない。」
「細川頼之は、日本の大経済家だよ。海外貿易から足利氏財政の制度まで、この人の創意工夫に出たものが多い」
(以上、『勝海舟の人生訓』より)
軍事力で、国家が強くても、最後は国民の支持を得られるかにかかっている。国民の日々の生活の安定なく前に、政治の安定はあり得ない。
日本は、戦前は軍事偏重主義で、行き詰った。戦後は、経済重視の政策が、日本を一時期、世界一の経済大国にした。
日本は、国家の推進により、経済が活性化して、1億3千万人もの人口を支えることが出来ている。明治維新のころへ、約3千万人の人口維持が、精一杯だったと聞きます。
国家間の領海のもめごとで、日中の経済関係を、損なうようでは、民主党も、中国共産党も、目先の騒乱に、本来の統治の意味を忘れた政権といえます。
勝海舟が、現代に生きていたら、「上に立つ者は、経済をわきまえよ」と、一括されることだと思います。
日本企業の中国進出を意志の萎縮、ましてや経済制裁なる発言が、両指導部から漏れてくるようでは、国民の動揺は抑えられない。こんな時こそ、明治のグランドデザインの立役者「勝海舟」の訓示を、しっかり読み返して欲しいものです。
参考資料:童門冬二著『勝海舟の人生訓』
家の本の整理中に、明治維新の元勲の一人、『勝海舟の人生訓』なる表題が目に止まった。中に、政治と経済の話があったので、ご紹介します。
ー以下、転載ー
勝(海舟)はよく、
「経済が基本だ」
と言った。歴史上の人物を評価する場合にも、
「経済をわきまえていたかどうか」
というものさしを持っていた。だから、彼が誉めた人物は、すべて経済に明るく、また経済を基にして政を行なった連中である。その中で、
「最も感心したのは、細川頼之と豊臣秀吉だ」
と言っている。なぜ、細川と秀吉を評価したかといえば、
「彼らが、最も経済観念を持っていたからだ」と言う。(中略)
「とにかく経済のことは経済学者には分からない。それは、理屈一方から見せるせいだ。世の中はそう理屈通りにいくものではない。人気というものがあって、何事も勢いだからね」
「いかに治民の術を飲み込んでいても、今も昔も人間万事金というものがその土台であるから、もしこれが無かった日には、いかなる大政治家が出ても、到底その手腕を施すことはできない。」
「細川頼之は、日本の大経済家だよ。海外貿易から足利氏財政の制度まで、この人の創意工夫に出たものが多い」
(以上、『勝海舟の人生訓』より)
軍事力で、国家が強くても、最後は国民の支持を得られるかにかかっている。国民の日々の生活の安定なく前に、政治の安定はあり得ない。
日本は、戦前は軍事偏重主義で、行き詰った。戦後は、経済重視の政策が、日本を一時期、世界一の経済大国にした。
日本は、国家の推進により、経済が活性化して、1億3千万人もの人口を支えることが出来ている。明治維新のころへ、約3千万人の人口維持が、精一杯だったと聞きます。
国家間の領海のもめごとで、日中の経済関係を、損なうようでは、民主党も、中国共産党も、目先の騒乱に、本来の統治の意味を忘れた政権といえます。
勝海舟が、現代に生きていたら、「上に立つ者は、経済をわきまえよ」と、一括されることだと思います。
日本企業の中国進出を意志の萎縮、ましてや経済制裁なる発言が、両指導部から漏れてくるようでは、国民の動揺は抑えられない。こんな時こそ、明治のグランドデザインの立役者「勝海舟」の訓示を、しっかり読み返して欲しいものです。
参考資料:童門冬二著『勝海舟の人生訓』