2013年03月31日

身を修るはその心を正すに在り。自分の能力に不可価値を生み出せ

身を修るはその心を正すに在り。自分の能力に不可価値を生み出せ。

おはようございます。今朝は、ウォーキングはお休みです。昨日、熊本県ウォーキング協会の合同花見で、昨秋の薩長同盟ウォークで、一緒に歩いた方々と再開し、ウォーキングの話題で大いに盛り上がった。

その中の一人から「長い距離を歩くウォーカーは、週休二日ぐらいが良い」と指導がありました。健康づくりからウォーキングでは、「毎日歩かないと」の気持から、膝にも負担がかかるし、心へのプレッシャーも大きい。時々休むことは、心にも良いと思います。

さて今朝の読書は、修己治人の学『大学』と、勝海舟の人生訓について書かれた本を、1年ぶりに目を通している。

伝七章 「正心」について

本文は長いのだが、「身を修るはその心を正すに在り」が文の〆の言葉だ。

では「心を正す」とはどういうことか?
朱子学によれば、人間の心には「性」と「情」がせめぎあっているのだという。「性」とは天から授かった徳性であるが、そのまま放っておくと、「情」すなわち感情や欲望に曇らされたり邪魔されたりして、十分に発揮することができない。

そこで「情」を押さえて、心を正常な働きを取り戻す必要がある。それがすなわち「心を正す」ということなのである。
(以上、守屋洋訳著「修己治人の学『大学』を読む」)

要は、感情や欲望を抑えることが大事と言う教えと思います。しかし、人の成長に欲望を抑えすぎたら、変化のない決まりきった人生になるようにも思います。

そこで、自分の欲望を、社会的な欲望に役立つ志向に変える、考え方が必要と思います。
 人の欲望の一つに、自己の成長がある。自分の能力に不可価値を加えることは、大いに自分を鼓舞するものと思います。作家の童門冬二氏が勝海舟の人生を分析した本『勝海舟の人生訓』に、次の一節があります。(以下、抜粋)

自分の能力に不可価値を生む、ということは、物心両面で投入したエネルギーを、効果的に発展させることである。つまり、投資効果を最大ならしめる、ということになる。それも、自分の利益だけ考えてそうするのではなく、社会のためにそうするということである。勝海舟を見ていると、そのことが言える。(略)

このように書いている。同じような考えを、評論家の竹村健一氏の中国古典の『荀子』の解説にもあった。

私欲をいかに公欲に近づけるか。「心を正す」の欲望を抑制し、理性を重んじる教示と、勝海舟の私欲を公欲に近づける、人間的な価値(周りの評価)は、一人ひとりの目指す志向で、日々の行動が微妙に違ってくるのだと思います。

年度末の日曜日、明日から新たな職場、部署に移り、新たな気持で仕事する方も多いと思います。「心を正す」、「私欲と心欲」を頭の隅に置き、今日一日を過ごしてみたはいかがでしょうか。

私は午前中、熊本空港へ八代の集まりの主催者の木内孝氏を迎えに行く仕事からで、午後の講師たちの話をしっかりお聞きし、夜の車座談義を楽しみたいと思います。

長い駄文を最後までお読み頂き感謝します。皆様にとって、良き一日であることを願っています。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 05:40Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ