2021年02月18日

不遇、逆境というものは自己を練る最もいい場所。〜安岡正篤〜

不遇、逆境というものは自己を練る最もいい場所。〜安岡正篤〜

久しぶりに『安岡正篤一日一言』を開いた。2月24日の訓示は、

(以下、本より転載)

 いかなる所へ行っても、牢獄へ入れられても、島流しにあっても、悠然としてふだんと変わらないようになるのには、よほど自分を作らなければならない。そういう意味では、不遇・逆境というものは自己を練る最もいい場所だ。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

この文を読みながら、獄中に居ても、意気揚々と過ごした吉田松陰を思い浮かべた。

>1854年、吉田松陰は海外密航を企てたという大罪で、長州藩の士分を収容する牢獄“野山獄”に送られる。ひとたび入れば生きては出られない地獄の牢獄として知られる野山獄は、長い幽閉生活で希望を失った者ばかりで溢れていた。しかし、常に前向きな松陰の姿に、彼らも少しずつ心を動かされていく。唯一の女囚・高須久も、短歌の集いなどを通じ、松陰との仲を深めていく(中略)

等々、獄中生活をどう過ごすのか?
当時は、政治犯もいたので、藩主の意向に添えない者も牢獄に入った。吉田松陰は、獄中を学びの場に変えて行った。さらに吉田松陰は、出られないと言われた「野山獄」から出て、松下村塾を開く。その塾に通った若者たちが、後の幕末維新の争乱の中で、活躍していく。

東京市長などを務めた後藤新平は、世に何を残すかと問われ、「それは人を残すこと」と答えている。

小泉内閣が取り上げた長岡藩の「米百俵」の精神も、人間教育の大切さを教えています。

安岡正篤先哲の「不遇・逆境こそが鍛錬の場」には、人生60年が過ぎて、これまで乗り越えて来た、様々な出来事を思い出すに、ようやってきたなと振り返ります。

まだまだ、試練に遭うとは思いますが、臆せず、慌てず、目の前のことを処理していくしかありません。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:15│Comments(0)安岡正篤語録
 
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