2008年11月07日

<家庭教育>名宰相・謝安の子弟教育

<家庭教育>名宰相・謝安の子弟教育

 2日かかりで、ここ半年掛かったイベントの報告書が出来ました。なかなか手間仕事で、ボランティア活動の編集だと、やはり後回しになりがちです。でもいつかやらないと終わらない仕事、期限を決めて終わらせました。やれやらです。

 さて、来月13日に、ユニセフ熊本支部主催で、ミニシンポジム「アフリカと日本の家庭教育を考える」にパネリストとして参加居ます。アフリカ出身の男女2人と日本人は私1人、3人の対談を40名くらい方が聞き、後半は一緒に会場とも討論すると言う対論の集いです。

 2日前に、ジンバブエ出身の女性と意見を交わしました。もちろん日本ですが、40分ほどユニセフ熊本支部の方も交えてでしたが、ジンバブエの首都の出身で、父は教育者、本人も大学院で博士を取得した方で、謙虚な中にも自分の意見はしっかり持っていると感じました。

テーマが家庭教育なので、色々話してして「親の背中を見て育つ」と言う言葉に行き付きました。それについて考えていて、安岡正先生が書かれた「孟子」に、次にことが書かれていたのを思い出しました。

(本文より)
 名宰相・謝安の子弟教育

 ・・(中略)夫婦の道もこれに準ずべきものですが、夫婦は親子と違って、本能的関係に加うるに朋友的要素もありますから、いくらか、それの最初の間に、優しく善を責めることも必要でありましょう。

 父子の間について私の好きな一佳話があります。
 晋の名宰相・謝安の婦人がわが児を教えながら、平生一向に夫がわが児を教えないのに不満であったと見えて、
「貴方は初めから児を教えなさるところを見たことがありませんね」
とからみました。ところが謝安曰く、
「われは常に児を教える。これある哉(か)」
つまり、いつも一緒に暮らしておるのですから、二六時中お手本を示しておる。別に事新しく説教するまでもないと言うのです。(中略)


 上記の安岡先生の解説に付け加えることはありません。父、母の生方そのものが、子どもへの教育と言う教えと思います。

*参考資料:安岡正篤著「『孟子』不安と混迷の時代だからこそ」より


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Posted by ノグチ(noguchi) at 17:56│Comments(0)安岡正篤語録
 
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