2012年07月01日
リーダー=仁人?【先人の訓示】「君子の道は身を修むるに在り」
リーダー=仁人?、【先人の訓示】「君子の道は身を修むるに在り」。
昨日、熊本市ルネッサンス県民運動本部が主催した、新肥後学で熊本に横井小楠が登場し、小楠が目指した「仁政」の実践が最後紹介された。
仁政の「仁」の文字は、よく見る言葉ですが、私自身がよく言葉の意味を理解出来ていません。よく開く、昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の本には、色々な言葉を使い解り安く解説してあります。
まず、「仁」とは何か?
PHP文庫の安岡先生の著書『活眼 活学』に、初めは難しく、最後は少し解ったかなと思える解説を見つけました。安岡正篤先生の言葉を参考に、整理をすると、
無道人之短
無説己之長
施人慎勿念
世誉不足慕
唯仁為紀綱
上記の漢詩を、現代の言葉にすると、
人の短を道(い)うなかれ
己の長を説くなかれ
人に施しては慎んで念(おも)うなかれ
世誉は慕うに足らず
唯仁を紀綱と為す
意味は、「紀」という字は糸の乱れをおさめる、筋道を通すという意味。それの太いものが「綱」である。人間の求むべきものは世間の名誉・権勢というものではなく、そんなものは本当に望ましいものではない。唯仁を紀綱とする。その本筋・大綱は仁というものである。
さて難しのが「仁」という言葉の意味。仁という言葉は聞いたことはあるが、意味は知らない?
解説本には、なぜか難しい言葉をよく使う。安岡正篤先生の『活眼 活学』から、解説を2つ。
(以下、転載)
仁というのは、天地自然が万物を生み育ててゆく創造・造花の徳をいう。だから人間の生命、健康を増進するのが仁である。(略)
仁人とは、人を生かしてくれる人ということで、いくら広く寄附しても不尽仁者は不仁者。いわんや自分の名誉だとか、商売だとか、成功とかいうことのために、人に物を贈ったり、金を贈ったりなんていうのは仁人でも何でもない。本当に心からその人の徳を持って人間の生を進めてゆく、高めてゆくというのが仁術である。「唯仁を紀綱とす」――いかにして生を救い、生を高めるが、人間というものを幸福にするか、というのが根本原則である。(中略)
上記から、「仁」は関わる人々を、>生を救い、生を高めるが、人間というものを幸福にする、とある。
関わる人々とは、小さくは家族、親族から、仲間や職場、地域。さらには、町、市、県、さらに国だろうか。
人の生業の根本は、「仁」に尽きると安岡正篤先生も、横井小楠先哲も説いている。横井小楠は、国政に「仁政」を実践しようとしたが、凶刃に倒れた。
小楠の教示に、次の教えがある。
「心に逆らうことあるも人を咎むることなかれ、人を咎むれば徳を損ず。為さんと欲することあるも心を正(あて)にすることなかれ、心を正にすれば事を破る。君子の道は身を修むるに在り」
現代のリーダーに、先人たちの言う「仁人」がいるかは、皆さんの判断にお任せます。
今日は雨で、大学のロボットコンテストを、見ながら書きました。長い文を最後まで、お読み頂きありがとうございました。
昨日、熊本市ルネッサンス県民運動本部が主催した、新肥後学で熊本に横井小楠が登場し、小楠が目指した「仁政」の実践が最後紹介された。
仁政の「仁」の文字は、よく見る言葉ですが、私自身がよく言葉の意味を理解出来ていません。よく開く、昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の本には、色々な言葉を使い解り安く解説してあります。
まず、「仁」とは何か?
PHP文庫の安岡先生の著書『活眼 活学』に、初めは難しく、最後は少し解ったかなと思える解説を見つけました。安岡正篤先生の言葉を参考に、整理をすると、
無道人之短
無説己之長
施人慎勿念
世誉不足慕
唯仁為紀綱
上記の漢詩を、現代の言葉にすると、
人の短を道(い)うなかれ
己の長を説くなかれ
人に施しては慎んで念(おも)うなかれ
世誉は慕うに足らず
唯仁を紀綱と為す
意味は、「紀」という字は糸の乱れをおさめる、筋道を通すという意味。それの太いものが「綱」である。人間の求むべきものは世間の名誉・権勢というものではなく、そんなものは本当に望ましいものではない。唯仁を紀綱とする。その本筋・大綱は仁というものである。
さて難しのが「仁」という言葉の意味。仁という言葉は聞いたことはあるが、意味は知らない?
解説本には、なぜか難しい言葉をよく使う。安岡正篤先生の『活眼 活学』から、解説を2つ。
(以下、転載)
仁というのは、天地自然が万物を生み育ててゆく創造・造花の徳をいう。だから人間の生命、健康を増進するのが仁である。(略)
仁人とは、人を生かしてくれる人ということで、いくら広く寄附しても不尽仁者は不仁者。いわんや自分の名誉だとか、商売だとか、成功とかいうことのために、人に物を贈ったり、金を贈ったりなんていうのは仁人でも何でもない。本当に心からその人の徳を持って人間の生を進めてゆく、高めてゆくというのが仁術である。「唯仁を紀綱とす」――いかにして生を救い、生を高めるが、人間というものを幸福にするか、というのが根本原則である。(中略)
上記から、「仁」は関わる人々を、>生を救い、生を高めるが、人間というものを幸福にする、とある。
関わる人々とは、小さくは家族、親族から、仲間や職場、地域。さらには、町、市、県、さらに国だろうか。
人の生業の根本は、「仁」に尽きると安岡正篤先生も、横井小楠先哲も説いている。横井小楠は、国政に「仁政」を実践しようとしたが、凶刃に倒れた。
小楠の教示に、次の教えがある。
「心に逆らうことあるも人を咎むることなかれ、人を咎むれば徳を損ず。為さんと欲することあるも心を正(あて)にすることなかれ、心を正にすれば事を破る。君子の道は身を修むるに在り」
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今日は雨で、大学のロボットコンテストを、見ながら書きました。長い文を最後まで、お読み頂きありがとうございました。
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜
<目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜
<死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜
<安岡正篤語録>人間の質「五悪」「五善」とは?。この人間分析は、人の本質は長く付き合わないと分からない。
<感情と内臓との関係>多想心労、多怒肝労、多思脾労、多悲肺労、多憂腎労。〜賢(じん)を養う〜
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Posted by ノグチ(noguchi) at 21:49│Comments(0)
│安岡正篤語録