2012年08月15日

人間の四十、五十というところが一番難しい。苦中に閑あり。

人間の四十、五十というところが一番難しい。苦中に閑あり、苦労を厭わず。

昨日の関西の豪雨、夏の思っても見ない、出来事だったと思います。一気に、100ミリ近い雨が降った。避難する間もない、豪雨に驚かれたと思います。被災地の皆さんに、お悔やみを申し上げます。

集中豪雨は、予期せぬ災害と思いますが、仕事をする中でも、避けて通れない苦労もあります。苦労、苦難、誰でも避けたいものですが、避けれないときは、前向きに立ち向かいたいものです。

朝の読書で、次の一節を見つけた。

「苦難は人を強くするが、安楽はすべてただ弱くするばかりである。副作用の無い安楽は、雄々しく堪えた苦難に伴う休息所てある。およそ正当な苦難は、自ら必要な喜悦をもそれ自身に内蔵するものである」(以上、『活眼活学』より)

人生を常に前向きに生きることは、苦しいときにこそ意味を成すと思います。勝海舟の教示に何度か出てくる六然に、苦中に閑あり。と言うものがあります。

暇な時には、閑をしっかり感じることができない。多忙だからこそ、休憩のありがたみが分かる。忙しいからこそ、人の親切が身に滲みる。

人は、何処を見ているか?

約2500年前の孔子の教えは、今でも人の道を説いている。孔子は、四十にして惑わずというが、果たして自分自身、四十代は何をしていたか。

自分を振り返るに、異業種交流を中心にした活動を始めた。人生の転機になったと思う。

孔子は、四十、五十が、人の転機にもなるが、様々な誘惑に引っかかる時期でもあると説いています。

その落とし穴に、引っかからないために、人の道「仁」を守れと教えています。果たして仁とは何か、どういう行動をすればよいか。安岡正篤著『活眼活学』に、仁を解説してあった。

人の短を道(い)ふなかれ
己の長を説くなかれ
人に施しては慎んで念(おも)ふなかれ
世誉は慕ふに足らず
唯仁を紀綱と為す

解説に、紀という字は糸の乱れをおさめる、筋道を通すという意味。それの太いものが綱である。人間の求むべきものは世間の名誉・権勢というものではなく、唯仁を紀綱とする。

ーーいかにして生を救い、生を高めるか、人間というものを幸福にするかというのが根本原則である、

終戦記念日、今日一日、「仁」の視点で、静かに今年の行動を振り返り、平和についても考える休憩日したいと思います。

※参考資料:安岡正篤著『活眼活学』



同じカテゴリー(安岡正篤語録)の記事画像
古い友人を持つ者が本物、新しい友人を漁猟(あさ)る者は偽物。〜安岡正篤(昭和の東洋哲学者)〜
同じカテゴリー(安岡正篤語録)の記事
 「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜 (2024-08-07 05:49)
 真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜 (2024-07-10 05:19)
 <目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜 (2024-06-24 04:27)
 <死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜 (2023-03-26 06:58)
 <安岡正篤語録>人間の質「五悪」「五善」とは?。この人間分析は、人の本質は長く付き合わないと分からない。 (2021-05-26 06:46)
 <感情と内臓との関係>多想心労、多怒肝労、多思脾労、多悲肺労、多憂腎労。〜賢(じん)を養う〜 (2021-05-01 09:33)

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:22│Comments(0)安岡正篤語録
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。