2008年04月22日
教育は大根づくり、多様な場面での適応力
教育は大根づくり、多様な場面での適応力
「人間学のすすめ」なる本が、先輩の寺の蔵書にあり借りて、少しづつ読んでいます。その一節に、江戸期の学者渋井大室の「教育は大根づくり」の話を見つけました。
(本文)
・・教育は、菊作りではなく、菜作りと同じだと思う。菊作りというものは自分の好み合うように丹精して特殊な花を咲かせて、自分の気分に入らんものはみな捨ててしまう。葉っぱ大根をつくるものは、これに反してそんなものでもいい、うまく食さえすれば良いんで、これはきわめて万人に向く有用な食料である。教育は、菊作りのような特殊な人間を作るんじゃなくって、どんな人間でも、いい人間になるように仕上げることだということをいっている。(中略)
(本文)
イギリス教育界の元老モバリー卿という人もはっきり言うておりますが、ケンブリッジやオックスフォードの学問は、いろんな知識や技術の詰め込みではなくって、とにかくその人をどんなところに置いて、どんなことをさせても、容易に人から信頼され、そのことを習熟することのできるような心構えの人を作ることである。(中略)
博識多技でなくとも、その場に捉えられて。問題を与えられたら、何でもこなせて、人から尊敬信頼されるような人柄を作っておく、心構えを作っておくことが一番大切な問題です。(中略)
二つの教育理論は、時代を越え、地域を越えたところでも、人間を育てる基本は何処も変わらないという偉人の教えと思います。
西郷隆盛の人気は、落ちることなく日本人の心にいつまでも止まることと思いますが、西郷隆盛は不思議な人で、自分が置かれた立場でいかに働くかをいつも考えていたとことを知りました。兵は兵士らしく、隊長は隊長らしく、将軍は将軍らしく、明治では元勲は元勲らしく、その立場で何をするべきかを考え続けたひとかもしれません。
また、西郷隆盛と3日会うと、離れなれない気分になるとありました。モリバー卿の教示のように、多様な場所でどんな仕事ができるか、常に最良のことを考えていたのかもしれません。
西郷隆盛の遺訓を集めた「西郷南州翁遺訓」の中に語られている、幕末の長州の英雄久坂玄瑞が「禁門の変」陣中で、指揮を執りながら部下に語った言葉に「無事は有事の如く、有事は無事の如く」があります。戦況を常に状況を聞きながら、心静かに本を読んでいたとありました。西郷隆盛は、その様子を「久坂先生は、お地蔵さんのようでごわす」と語ったと言います。
最後に、「西郷南州翁遺訓」を記録した庄内藩の若者たちが、「学問は何のためにするのですか」の問いに対しいて、西郷隆盛は、次のように答えたとありました。現代風に言うと、
「予期せぬことに直面したときに、臨機応変に対応する能力を養うこと」
と語ったと言います。
これに似た話しに、三国志の魏の曹操も、戦地に行く折には、いつも古典の本を数冊携えて出かけたとありました。曹操の訓示の一つが、「列士暮年 壮心已まず」。その時代に、名を残す人々は、常に社会変化に合わせて、自分を高める努力をし続けたのかもしれません。
*参考資料:安岡正篤著『人間学のすすめ』
「人間学のすすめ」なる本が、先輩の寺の蔵書にあり借りて、少しづつ読んでいます。その一節に、江戸期の学者渋井大室の「教育は大根づくり」の話を見つけました。
(本文)
・・教育は、菊作りではなく、菜作りと同じだと思う。菊作りというものは自分の好み合うように丹精して特殊な花を咲かせて、自分の気分に入らんものはみな捨ててしまう。葉っぱ大根をつくるものは、これに反してそんなものでもいい、うまく食さえすれば良いんで、これはきわめて万人に向く有用な食料である。教育は、菊作りのような特殊な人間を作るんじゃなくって、どんな人間でも、いい人間になるように仕上げることだということをいっている。(中略)
(本文)
イギリス教育界の元老モバリー卿という人もはっきり言うておりますが、ケンブリッジやオックスフォードの学問は、いろんな知識や技術の詰め込みではなくって、とにかくその人をどんなところに置いて、どんなことをさせても、容易に人から信頼され、そのことを習熟することのできるような心構えの人を作ることである。(中略)
博識多技でなくとも、その場に捉えられて。問題を与えられたら、何でもこなせて、人から尊敬信頼されるような人柄を作っておく、心構えを作っておくことが一番大切な問題です。(中略)
二つの教育理論は、時代を越え、地域を越えたところでも、人間を育てる基本は何処も変わらないという偉人の教えと思います。
西郷隆盛の人気は、落ちることなく日本人の心にいつまでも止まることと思いますが、西郷隆盛は不思議な人で、自分が置かれた立場でいかに働くかをいつも考えていたとことを知りました。兵は兵士らしく、隊長は隊長らしく、将軍は将軍らしく、明治では元勲は元勲らしく、その立場で何をするべきかを考え続けたひとかもしれません。
また、西郷隆盛と3日会うと、離れなれない気分になるとありました。モリバー卿の教示のように、多様な場所でどんな仕事ができるか、常に最良のことを考えていたのかもしれません。
西郷隆盛の遺訓を集めた「西郷南州翁遺訓」の中に語られている、幕末の長州の英雄久坂玄瑞が「禁門の変」陣中で、指揮を執りながら部下に語った言葉に「無事は有事の如く、有事は無事の如く」があります。戦況を常に状況を聞きながら、心静かに本を読んでいたとありました。西郷隆盛は、その様子を「久坂先生は、お地蔵さんのようでごわす」と語ったと言います。
最後に、「西郷南州翁遺訓」を記録した庄内藩の若者たちが、「学問は何のためにするのですか」の問いに対しいて、西郷隆盛は、次のように答えたとありました。現代風に言うと、
「予期せぬことに直面したときに、臨機応変に対応する能力を養うこと」
と語ったと言います。
これに似た話しに、三国志の魏の曹操も、戦地に行く折には、いつも古典の本を数冊携えて出かけたとありました。曹操の訓示の一つが、「列士暮年 壮心已まず」。その時代に、名を残す人々は、常に社会変化に合わせて、自分を高める努力をし続けたのかもしれません。
*参考資料:安岡正篤著『人間学のすすめ』
「イマダモッケイ(木鶏)ニオヨバズ」〜双葉山(昭和の大横綱)〜
真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜
<目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜
<死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜
<安岡正篤語録>人間の質「五悪」「五善」とは?。この人間分析は、人の本質は長く付き合わないと分からない。
<感情と内臓との関係>多想心労、多怒肝労、多思脾労、多悲肺労、多憂腎労。〜賢(じん)を養う〜
真の自分になること、自分の信念・学問・信仰に徹する。〜古賀穀堂〜
<目覚めの学び>知識の学問→知恵の学問→徳惠の学問〜安岡正篤〜
<死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜
<安岡正篤語録>人間の質「五悪」「五善」とは?。この人間分析は、人の本質は長く付き合わないと分からない。
<感情と内臓との関係>多想心労、多怒肝労、多思脾労、多悲肺労、多憂腎労。〜賢(じん)を養う〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 19:49│Comments(0)
│安岡正篤語録