2008年06月06日

人生の「三不幸」 (安岡正篤語録集『一日一言』より)

人生の「三不幸」 (安岡正篤語録集『一日一言』より)

安岡正篤先生の人生講話のご紹介です。

(本 文)
 伊川先生言う、人、三不幸あり。少年に高科に登る、一不幸なり。父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。
(『伊川文集』) 

(解 説)
 年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら、大間違いである。というのは、修練というものを欠いてしまうことになるからで、これは不幸である。これは官ばかりでない。親のお蔭で若輩が重役になったりする、みな同じことである。

 またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする、・・文は飾る、表わすということで、つまり弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと・・これも大きな不幸である。

 今日は選手万能の時代で、野球とか、歌舞とか、若くてできる者にわいわい騒ぐ。これは当人にとって、大きな不幸であります。若くてちょっと小説を書くと、たちまち流行作家になって大威張りする。小娘がしょっと歌や踊りができると、やれテレビだ映画だ、と引っ張り出して誇大に宣伝する。つまらない雑誌や新聞がそれをまたデカデカと報道する。

 変態現象と言うか、実に面妖なことで、決して喜ばしい現象ではない。

  (以上、『安岡正篤 一日一言』より)


(感 想)

 戦後の多くの首相、起業家、色々な分野のリーダーが師事した昭和の哲学者である安岡正篤先生の言葉を、世の現象を的確に捉え、見識の高さを感じます。

 先生は、人生は晩年が大事、志、至誠、浩然の気、不断の努力と、人として何が大事か、どう生きるのを多くの場面で語られました。先月読んだ「人間学のすすめ」は、新たに目から鱗が落ちる思いを持ちました。

 安岡先生は、中国古典やヨーロッパの西洋哲学にも造詣が深く、その短く語られて言葉には、人生を迷いを解く、たくさんのヒントが醸し出されています。日々に仕事の合間に読む、安岡先生の本に、元気をもらっている一人です。

 今日の「三不幸」も、先生から大切なメッセージと、自分も、周りにもご紹介できればと思います。



<以前の日記>

・(ほどほどの境地)花を見るなら五部咲き(『菜根譚』より)


<ミクシィ・コミュニティー>
・心を育てる言葉
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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:47│Comments(0)安岡正篤語録
 
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