2018年02月27日
成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諌めず、既往(きおう)は咎めず。
中国古典輪読会「中澄会」に、今年初めて参加しました。会に加わって、かれこれ16年?になるでしょうか。本日の言葉で印象に残った言葉
「成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諌めず、既往(きおう)は咎めず」
【現代語訳】
すでに出来たことはとやかく言っても始まらない。やってしまったことは、諌めても無駄というものだ。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない。
(以下、『仮名論語』より)
毎月1回開催されている中国古典輪読会に、4ヶ月ぶりに参加した。もうそろそろ240回になるそうです。20年近く続く、『論語』を中心として、中国古典の四書五経から続く様々な教養について読み語る集まりです。私は、40代の前半に誘われ、かれこれ16年近くになると思います。
この会の中で知った幕末の陽明学者の山田方谷に関心を持ち、日本一古い庶民が学んだ、岡山の陽明学の学校跡「閑谷学校」を視察に行き、山田方谷に生き方に触れ、感銘を受けました。幕末に、熊本の儒家で政治家の横井小楠先哲も「閑谷学校」を訪れています。
平成30年度から小学校に道徳の授業が始まります。「論語読みの論語知らず」と冷やかす言葉もありますが、対人関係に関する知恵の宝庫が「論語」だと思い、学んできました。
これからも、さぼり気味の塾生ですが、飽きず、懲りず、中国古典輪読会で学びたいと思っています。
「成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諌めず、既往(きおう)は咎めず」
【現代語訳】
すでに出来たことはとやかく言っても始まらない。やってしまったことは、諌めても無駄というものだ。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない。
(以下、『仮名論語』より)
毎月1回開催されている中国古典輪読会に、4ヶ月ぶりに参加した。もうそろそろ240回になるそうです。20年近く続く、『論語』を中心として、中国古典の四書五経から続く様々な教養について読み語る集まりです。私は、40代の前半に誘われ、かれこれ16年近くになると思います。
この会の中で知った幕末の陽明学者の山田方谷に関心を持ち、日本一古い庶民が学んだ、岡山の陽明学の学校跡「閑谷学校」を視察に行き、山田方谷に生き方に触れ、感銘を受けました。幕末に、熊本の儒家で政治家の横井小楠先哲も「閑谷学校」を訪れています。
平成30年度から小学校に道徳の授業が始まります。「論語読みの論語知らず」と冷やかす言葉もありますが、対人関係に関する知恵の宝庫が「論語」だと思い、学んできました。
これからも、さぼり気味の塾生ですが、飽きず、懲りず、中国古典輪読会で学びたいと思っています。
<浩然の気>人の上に立ってこそ、自らの力量(徳)を理解する。〜『大学』より〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 08:55│Comments(0)
│孔子の教え