2012年07月09日

【至誠】善も不善も必ずこれを予知する。至誠の人は神のよう。

【至誠】善も不善も必ずこれを予知するものである。故に至誠の人は神のようなものだ。

おはようございます。爽やかな朝の空気で、今日は目覚めました。

昨日の関西師友会・熊本支部例会で、『中庸』を学んだおり、開いた第二十四章の文章に心が止まった。*解説から「中庸は真中ではなく、落ち着くところ」。

『中庸』第二十四章、
「至誠の道はもって前知すべし。
 国家まさに興らんとすれば、必ず禎祥あり。
 国家まさに亡びんと知れば、必ず妖孽(ゲツ)あり。
 蓍亀(シキ)に見(あらわ)れ、四体に動く。
 禍福まさに至らんとすれば、善必ず先ずこれを知り、
 不全必ず先ずこれを知る。故に至誠は神の如し」

(現代語訳)
至誠の路は、前もって物事を知ることができる。国家がこれから勃興しようとするときには、必ずめでたい兆しがあるものである。逆に国家がこれから衰亡しようとするときにも、必ず妖しい不吉な兆しがあるものだ。それは占いの筮竹(ゼイチク)や亀甲(キッコウ)に表れ、また君主の立ち居振る舞いにも表れるものだ。わざわいや幸いがこようとするときも、善も不善も必ずこれを予知するものである。故に至誠の人は神のようなものだ。(伊予田学訳『仮名中庸』より)

私の座右の銘は「至誠一貫」であるが、『中庸』に至誠の文字が多く語られている。

至誠は、人の心の在り様、人が生き様(生業)の目指す到達点と思うが、その理念は中国から輸入され、日本古来の教示と交わり、研究が深められて、今に至っていると思う。昨日の輪読会で『中庸』は、心の在り様、特にリーダーに求められる資質が問われていると学びました。

また「誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり」(『中庸』20章)とあります。誠を尽くす、人に尽くすことはもちろんですが、自分自身の心を育てることに尽くすことも忘れてはいけないと教示しています。

朝から、中国古典の難しい教示の話になりましたが、リーダー、特に全権を持つ人の立ち振舞い、言動を冷静に観察すると、その人の心のあり様が、本人は気をつけていても外に表れるものと、ここ数日の先輩方の教示からも学びました。これは、一般人にも参考になることで、『中庸』24章は人生の訓示の一つと思います。

*参考資料:伊予田学訳『仮名中庸』第24章より


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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:08│Comments(0)孔子の教え
 
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