2008年05月25日
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
<浩然の気>人の上に立ってこそ、自らの力量(徳)を理解する。〜『大学』より〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 08:06│Comments(0)
│孔子の教え