2013年02月24日
認知症にならないために歩く、足は第二の心臓!
認知症にならないために歩く、足は第二の心臓!
今朝、テレビニュースで、足が痛くなった高齢者が歩かなくなった。主治医から、痛くても一日30分、週に3日歩くことを勧められた。
その老人、初めは痛みがあったが、3月が経ち、半年が経ち、1年が経つころには、痛みはあるが歩けるようになった。続けているうちに、痛み無く歩けるようになった。
この結果、足のふくろはぎには、血管が塞がれた部分に、血液のバイパスから、細いですが毛細管も増えるそうだ。これは、驚いた。
数日前のテレビニュースで、歩かない習慣が、歩けない足になる。これを、ロコモティブシンドロームに陥る。これは悪巡回に陥り、歩けない。高齢者は、躁うつ病になったり、認知症になったりする。
昔の人は、日々歩いた。私の周りに、車を運転する老人と、車を運転できない(免許が無い)老人がいます。両方80代ですが、運転免許を持たない方は、役職はないですが、社会的には現役です。
妻との話しで、大都市は車が必要ないが、公共交通を使い日々歩く。田舎は、公共交通が無い(成立しない)ので、自家用車、私の親父さんは、40代後半から、常に車利用でした。
晩年は、車が運転出来ないなくなっから出歩かない。車に頼り切った生活、足が弱り、介護保険を使うようになった。デイサービスは、送迎付き、ヘルパーが転倒しないように、ケガの無いように、送迎は2人体制、人件費の嵩む後半生になった。
ならば、定年後はなるべくなら、自家用車を利用せずに、とにかく、歩くことと、公共交通をたくさん利用して、「歩く」「歩く」、何かに付けて歩く。
これは、車社会へのアンチテーゼになるように思います。健康のために、暇なときほど歩き、公共交通を使えば、介護保険料アップを抑えることができないか?
歩かない、足が弱る、引きこもり、躁うつ病、認知症、介護、入院、入所、益々歩かない。車いす、寝たきり、介護ランク5になる。ますます、介護保険料が上がる。矛盾だらけの介護保険政策のように思います。
私は、車利用を限りなく少なくして、何かにつけて歩く。足は第二の心臓!、認知症にならないために歩くことを始めて良かったな、と思います。
今朝、テレビニュースで、足が痛くなった高齢者が歩かなくなった。主治医から、痛くても一日30分、週に3日歩くことを勧められた。
その老人、初めは痛みがあったが、3月が経ち、半年が経ち、1年が経つころには、痛みはあるが歩けるようになった。続けているうちに、痛み無く歩けるようになった。
この結果、足のふくろはぎには、血管が塞がれた部分に、血液のバイパスから、細いですが毛細管も増えるそうだ。これは、驚いた。
数日前のテレビニュースで、歩かない習慣が、歩けない足になる。これを、ロコモティブシンドロームに陥る。これは悪巡回に陥り、歩けない。高齢者は、躁うつ病になったり、認知症になったりする。
昔の人は、日々歩いた。私の周りに、車を運転する老人と、車を運転できない(免許が無い)老人がいます。両方80代ですが、運転免許を持たない方は、役職はないですが、社会的には現役です。
妻との話しで、大都市は車が必要ないが、公共交通を使い日々歩く。田舎は、公共交通が無い(成立しない)ので、自家用車、私の親父さんは、40代後半から、常に車利用でした。
晩年は、車が運転出来ないなくなっから出歩かない。車に頼り切った生活、足が弱り、介護保険を使うようになった。デイサービスは、送迎付き、ヘルパーが転倒しないように、ケガの無いように、送迎は2人体制、人件費の嵩む後半生になった。
ならば、定年後はなるべくなら、自家用車を利用せずに、とにかく、歩くことと、公共交通をたくさん利用して、「歩く」「歩く」、何かに付けて歩く。
これは、車社会へのアンチテーゼになるように思います。健康のために、暇なときほど歩き、公共交通を使えば、介護保険料アップを抑えることができないか?
歩かない、足が弱る、引きこもり、躁うつ病、認知症、介護、入院、入所、益々歩かない。車いす、寝たきり、介護ランク5になる。ますます、介護保険料が上がる。矛盾だらけの介護保険政策のように思います。
私は、車利用を限りなく少なくして、何かにつけて歩く。足は第二の心臓!、認知症にならないために歩くことを始めて良かったな、と思います。
2013年02月24日
偏差値から人間教育へ、世の心ある生徒や保護者は求めていた。
偏差値から人間教育へ、世の心ある生徒や保護者は求めていた。
おはようございます。昨日は、2つの講演会を聴きました。
道州制論議と自伐林業の話
道州制論議は、高学歴の方々で、公的役職の方ばかりの登場人物でした。言葉巧みに、地方分権と中央集権の改革を説明されたが、なかなか私のような学歴のない人間には、字面的な意味は分かるが、実際の体験が無い分、心を動かされない。
それとは違って、自伐林業と木の駅プロジェクトの活動は、私自身が山の下草刈り、間伐の作業、等々を見て体験しているから、納得出来るし、日銭の問題も絡み、スッと理解ができた。
土佐の森方式のリーダーの中嶋氏は、「国、営林署のやり方では日本林業の発展はない。机上の理論(偏差値的)では、林業家は減るばかり、ドイツ型林業に帰ると、中山間地の過疎問題も解決する」と強調した。
心動かされ、実践の言葉には、会場の全員をその気にさせるものがあった。正に、実学の講演会を体験した気がしました。
幕末の政治思想家の横井小楠は、「役人(官僚)の話しは、一度聞けばもういい。だが、百姓や漁師、商人の話は、何度聞いても面白い。一人一人の工夫があり、興味が尽きない」と語ったそうです。
座学も確かに必要ですが、新しい事にチャレンジするには、勇気や気合が必要ですし、それに賛同する仲間や指導者が増えることが必要です。
偏差値教育(座学)から、少しずつ自ら行動を起こす人間教育(実学)に、社会が関心を持ち始めているように思います。
ー産経web ニュースよりー
>大阪における一私立高校の入試改革という小さなできごとである。しかし、その意味するところは、全国の高校教育界への衝撃となる大きなできごとである。
>すなわち、世の心ある生徒や保護者は求めていたのである。偏差値教育ではなくて、志を養う人間教育を。しかし、それに応える高校がほとんどなかったのだ。
>そこに登場したのである。人間教育をするという高校が。だから多く集まったのである。彼らの志はきっと花開くであろう。
>『論語』子張篇に曰(いわ)く「博(ひろ)く学びて、篤(あつ)く志(こころざ)す」と。
http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/130224/edc13022403030000-s.htm
おはようございます。昨日は、2つの講演会を聴きました。
道州制論議と自伐林業の話
道州制論議は、高学歴の方々で、公的役職の方ばかりの登場人物でした。言葉巧みに、地方分権と中央集権の改革を説明されたが、なかなか私のような学歴のない人間には、字面的な意味は分かるが、実際の体験が無い分、心を動かされない。
それとは違って、自伐林業と木の駅プロジェクトの活動は、私自身が山の下草刈り、間伐の作業、等々を見て体験しているから、納得出来るし、日銭の問題も絡み、スッと理解ができた。
土佐の森方式のリーダーの中嶋氏は、「国、営林署のやり方では日本林業の発展はない。机上の理論(偏差値的)では、林業家は減るばかり、ドイツ型林業に帰ると、中山間地の過疎問題も解決する」と強調した。
心動かされ、実践の言葉には、会場の全員をその気にさせるものがあった。正に、実学の講演会を体験した気がしました。
幕末の政治思想家の横井小楠は、「役人(官僚)の話しは、一度聞けばもういい。だが、百姓や漁師、商人の話は、何度聞いても面白い。一人一人の工夫があり、興味が尽きない」と語ったそうです。
座学も確かに必要ですが、新しい事にチャレンジするには、勇気や気合が必要ですし、それに賛同する仲間や指導者が増えることが必要です。
偏差値教育(座学)から、少しずつ自ら行動を起こす人間教育(実学)に、社会が関心を持ち始めているように思います。
ー産経web ニュースよりー
>大阪における一私立高校の入試改革という小さなできごとである。しかし、その意味するところは、全国の高校教育界への衝撃となる大きなできごとである。
>すなわち、世の心ある生徒や保護者は求めていたのである。偏差値教育ではなくて、志を養う人間教育を。しかし、それに応える高校がほとんどなかったのだ。
>そこに登場したのである。人間教育をするという高校が。だから多く集まったのである。彼らの志はきっと花開くであろう。
>『論語』子張篇に曰(いわ)く「博(ひろ)く学びて、篤(あつ)く志(こころざ)す」と。
http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/130224/edc13022403030000-s.htm