2013年08月14日
流言蜚語(りゅうげんひご)、トップとのホットラインは妬まれる。
流言蜚語(りゅうげんひご)、トップとのホットラインは妬まれる。
朝ウォーキングを終えて、ここ数日の悩みの種、熊本の郷土史からの原稿依頼だが、なかなかまとまらず、やっと午前中に送れました。テーマは、田中正造、足尾鉱毒事件、水俣病、福島第一原発事故、についてなやみなやみ書き上げました。
今日は予定はなく、お盆の挨拶と施設に居る両親を見に行くことぐらいで、決まった時間があるわけでなく、今はゆっくり甲子園を観戦中です。明日は終戦記念日、作家の野末陳平氏がまとめた「四字熟語366日」の8月15日言葉が、
「流言蜚語(りゅうげんひご)」
〈解説から抜粋〉
早い話がデマのこと。確たる証拠がまったくないのにいかにも真実らしく世間に広がる噂。
本に、終戦の玉音放送後、子どもたちの間で、いろいろな噂話しが広がったと著者が書いていた。しかし、しょせん子どもの噂話ですから、時が過ぎれば消えてしまいます。
しかし、これに利害が絡めば、消える話ではなくて真実を追求する動きなる。長尾剛著『論語より陽明学』に、江戸前期の儒家・熊沢蕃山と藩主との関係が紹介されていた。
利害が絡む噂話も、トップと新人との密な関係となれば、さらにエスカレートするものです。岡山藩の名君・池田光正公は、陽明学者の中江藤樹に師事した熊沢蕃山を登用し、政治について蕃山の意見を採用することが多くなった。
これには、古参の藩士たちは”嫉妬の嵐”になった。いろいろな噂話含め蕃山は悩んだ。師の中江藤樹に送った手紙でグチをこぼした。それに対して藤樹は「君に悩みはしょせんは”意”なのだ」と諭した。そして、
「意・必・固・我に陥っては、たちまちに学問は役に立たなくなる。ひたすら自分の心を、自分で信じることだ。そうなれば、周囲の声は気にならなくなる」
と、蕃山にアドバイスした。
上記の本の解説の一説を転載します。
(以下、転載)
人は時として周囲から、嫉妬や”あらぬ疑い”で、嫌な思いをさせられる。そうなれば周囲を恨めしく思い、周囲を憎みたくなる。
しかしそんな時、自分の心の隅に「周りのバカなヤツらは俺の言いなりになるべきなのに!」といったエゴが、うごめいているかも知れない。そんな不遜気持ちが、周囲の嫉妬をかき立てているのかもしれない。
陽明学の基本は「万物一体の仁」、すなわち「自分も他人も、同様に大切にする心」です。そうしたエゴを消さねばなりません。藤樹は蕃山に、そんな意味のアドバイスを送ったのであります。
(以上、『論語より陽明学』より)
〉ひたすら自分の心を、自分で信じることだ。
周りの意見を求める心のゆとりを持つこと、声を出す時期、場所、場面(時)で、常に自分の心の声(良心)と対話しながら言動に努める。単なる噂話に動揺することなく、自分を信じていれば、周りの噂話(誹謗・中傷)は、馬耳東風と気にならなくなる。
蕃山は、国を支えるのは民の生活、自然と共生することが基本。木があれば水を吸う。大雨がふっても、水があふれて田畑が潰される心配がなくなる。民の生活が安定する。民を守り、自然を愛する。それが蕃山の「万物の一体の仁」、陽明学教えは、正しき政治の道に近づくことになる。
池田光正公は、熊沢蕃山と協力し、350年前に庶民のための世界初の学校「閑谷学校」を作り、一般庶民の教育に力を入れた。
朝ウォーキングを終えて、ここ数日の悩みの種、熊本の郷土史からの原稿依頼だが、なかなかまとまらず、やっと午前中に送れました。テーマは、田中正造、足尾鉱毒事件、水俣病、福島第一原発事故、についてなやみなやみ書き上げました。
今日は予定はなく、お盆の挨拶と施設に居る両親を見に行くことぐらいで、決まった時間があるわけでなく、今はゆっくり甲子園を観戦中です。明日は終戦記念日、作家の野末陳平氏がまとめた「四字熟語366日」の8月15日言葉が、
「流言蜚語(りゅうげんひご)」
〈解説から抜粋〉
早い話がデマのこと。確たる証拠がまったくないのにいかにも真実らしく世間に広がる噂。
本に、終戦の玉音放送後、子どもたちの間で、いろいろな噂話しが広がったと著者が書いていた。しかし、しょせん子どもの噂話ですから、時が過ぎれば消えてしまいます。
しかし、これに利害が絡めば、消える話ではなくて真実を追求する動きなる。長尾剛著『論語より陽明学』に、江戸前期の儒家・熊沢蕃山と藩主との関係が紹介されていた。
利害が絡む噂話も、トップと新人との密な関係となれば、さらにエスカレートするものです。岡山藩の名君・池田光正公は、陽明学者の中江藤樹に師事した熊沢蕃山を登用し、政治について蕃山の意見を採用することが多くなった。
これには、古参の藩士たちは”嫉妬の嵐”になった。いろいろな噂話含め蕃山は悩んだ。師の中江藤樹に送った手紙でグチをこぼした。それに対して藤樹は「君に悩みはしょせんは”意”なのだ」と諭した。そして、
「意・必・固・我に陥っては、たちまちに学問は役に立たなくなる。ひたすら自分の心を、自分で信じることだ。そうなれば、周囲の声は気にならなくなる」
と、蕃山にアドバイスした。
上記の本の解説の一説を転載します。
(以下、転載)
人は時として周囲から、嫉妬や”あらぬ疑い”で、嫌な思いをさせられる。そうなれば周囲を恨めしく思い、周囲を憎みたくなる。
しかしそんな時、自分の心の隅に「周りのバカなヤツらは俺の言いなりになるべきなのに!」といったエゴが、うごめいているかも知れない。そんな不遜気持ちが、周囲の嫉妬をかき立てているのかもしれない。
陽明学の基本は「万物一体の仁」、すなわち「自分も他人も、同様に大切にする心」です。そうしたエゴを消さねばなりません。藤樹は蕃山に、そんな意味のアドバイスを送ったのであります。
(以上、『論語より陽明学』より)
〉ひたすら自分の心を、自分で信じることだ。
周りの意見を求める心のゆとりを持つこと、声を出す時期、場所、場面(時)で、常に自分の心の声(良心)と対話しながら言動に努める。単なる噂話に動揺することなく、自分を信じていれば、周りの噂話(誹謗・中傷)は、馬耳東風と気にならなくなる。
蕃山は、国を支えるのは民の生活、自然と共生することが基本。木があれば水を吸う。大雨がふっても、水があふれて田畑が潰される心配がなくなる。民の生活が安定する。民を守り、自然を愛する。それが蕃山の「万物の一体の仁」、陽明学教えは、正しき政治の道に近づくことになる。
池田光正公は、熊沢蕃山と協力し、350年前に庶民のための世界初の学校「閑谷学校」を作り、一般庶民の教育に力を入れた。