2012年07月13日
真に愛するとは、相手を思い鍛え、導くこと
真に愛するとは、相手を思い鍛え、導くこと
安岡正篤先生の教えを学ぶ仲間たちの会を「関西師友会」と言います。師友は、教え合う意味もあるようで、毎月送られてくる月刊誌を読み合わせる。素読ならぬ、音読の奨めである。読んだ後の意見交換もまた楽しく学び、気づくことも多い。
論語の中の孔子の教示に、愛するについての意見があった。
〈憲問第十四の一節〉
子曰わく、之を愛して能(よ)く労することなからんや。
忠にして能く誨(おし)うることなからんや。
〈現代語訳〉
孔子先生が言われた。「真に人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか。真に相手を思うからには、その人を教え導かないでおられようか」。
(『仮名論語』より転載)
安岡正篤先生は、共に学び合うを教学の奨めから、熊本にも支部でき、私も末席に参加している。先輩たちの深い研究心に、ほど遠いがどうにか着いて行っています。
しかし、深く学べば学ぶ程に、人生経験の違いもあり微妙な解釈と講座のやり方の違いから、分家して行ったりします。それも成長の一つの段と思います。
そのことを、末尾のURLのアドレスブログに書いています。一読いただければ、幸いです。
~(親子論語ブログ)転載~
一緒に学べても、一緒に同じ道を行く事は難しい
http://utorongo.otemo-yan.net/e231801.html(親子論語ブログ)
安岡正篤先生の教えを学ぶ仲間たちの会を「関西師友会」と言います。師友は、教え合う意味もあるようで、毎月送られてくる月刊誌を読み合わせる。素読ならぬ、音読の奨めである。読んだ後の意見交換もまた楽しく学び、気づくことも多い。
論語の中の孔子の教示に、愛するについての意見があった。
〈憲問第十四の一節〉
子曰わく、之を愛して能(よ)く労することなからんや。
忠にして能く誨(おし)うることなからんや。
〈現代語訳〉
孔子先生が言われた。「真に人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか。真に相手を思うからには、その人を教え導かないでおられようか」。
(『仮名論語』より転載)
安岡正篤先生は、共に学び合うを教学の奨めから、熊本にも支部でき、私も末席に参加している。先輩たちの深い研究心に、ほど遠いがどうにか着いて行っています。
しかし、深く学べば学ぶ程に、人生経験の違いもあり微妙な解釈と講座のやり方の違いから、分家して行ったりします。それも成長の一つの段と思います。
そのことを、末尾のURLのアドレスブログに書いています。一読いただければ、幸いです。
~(親子論語ブログ)転載~
一緒に学べても、一緒に同じ道を行く事は難しい
http://utorongo.otemo-yan.net/e231801.html(親子論語ブログ)
<浩然の気>人の上に立ってこそ、自らの力量(徳)を理解する。〜『大学』より〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜
<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜
<見習う教師、反面教師>どんな人からでも学ぶことができる。
<社会というより世間>身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の初めなり。〜孝経〜
自らの生きる芯(誠)を、磨き鍛え、前進せねばと思う。〜孔子の最後の訓示から〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 16:20│Comments(0)
│孔子の教え